神話を失った世界で
「神話を失った世界?」
「どんな世界になるっていうの?」
「簡単だよ」
「・・・」
「ニューヨークタイムズを読めばいい」
(『神話の力』より)
Aさんに『神話の力』という本を教えてもらった。
「まっちゃんの本、面白かったよ」
「自分のことが書いてあるみたいでさ」
「『私は誰なのか』」
「それを追求するって、今の僕にぴったりだった」
「おぉ、ありがとう!」
「実は、起業家になるのに一番大切なことって、」
「『私は誰か』って、自分に問うてみることなんです」
「Aさんも起業家になるのかもしれないなぁ」
「そんな風に思いましたよ」
「だって、それっぽいじゃないですか」
「ハハハ」
「だけどね、悪いけどキャンベルの『神話の力』には敵わないと思ったよ」
「あっちの本の方が、引いた線が多かった」
「一度読んで欲しい」
そんな伝説クラスの本に敵うはずがないではないか、とぶつぶつ不平を言いながら英書の『神話の力』を探した。もし僕の本がそんな本だったら、もっと売れている筈である。
"The power of Myth"
英書のタイトル探しというものは意外に手こずる。ただ英語だとゆっくりと考えながら原典に当たれるし、勝手に自分で翻訳して文章に含ませることができたりする。さらに大切なのは、生徒らにドヤ顔できるということである。
それはともかく、肝心の内容は凄かった。
こんな調子だ。
「愛は不完全さから生まれる。完璧な存在というものを、人は愛することができない」
「ブッダは完全な存在になってこの世から消えてしまったし、全能の神も磔刑になったキリストがいるからこそ、人は愛することができる」
人がなぜ人を愛するかといえば、彼女が苦しんでいるからだ。完璧な存在は畏怖の対象でしかない。
神自身も、ノアとの契約に従うことになった。アブラハムに自分の名を明かし、キリストを受肉させた。全能が契約の支配下に置かれ、自分が何者かを人に釈明し、最愛の息子を地に捧げた。彼は不完全性を獲得することで、旧約聖書の荒ぶる神から新約聖書の愛の神となった。
全能に反旗を翻した哲学者は「神は死んだ」と言ったニーチェだけではなく、実は複数存在する。ユングは『ヨブへの答え』を執筆し、E.フロムもキルケゴールも神を超えた存在について記述をしている。
どの書にも、無力さや不完全さゆえに人は神を超えた、そんなさまが描かれる。不完全であるが故に神を超え、荒ぶる神を愛の神へと変質させたとして。
その弱さゆえに私はあなたを愛し、私の苦悩ゆえにあなたは私を愛する。弱さや失敗は愛を産むのだ。強さや勝利が畏怖を押し付ける一方で。
「愛は不完全さから生まれる。完璧な存在というものを、人は愛することができない」
内面世界が何で出来ているのかといえば、それは神話の体系なのだとキャンベルは言う。そして神は全能なのだけれど、神話は不完全な人という存在こそが紡ぎ出す。
私はどう弱いのだろうか。私はいつもどんな風にあなたを傷つけてしまうのだろうか。
「私とは誰か」
私とは、あなたの弱さと、私の弱さとを美しく描いた神話。
だから、あなたの弱さに羽を描かせて欲しい。私の罪を許してくれたお礼だ。
お読みいただきまして誠にありがとうございましたm(_ _)m
めっちゃ嬉しいです❣️
12月17日発売の新刊、『人は幽霊を信じられるか、信じられないかで決まる』。下のリンクで、まえがきを全文公開させていただきます。是非ぜひお読みくださいませm(_ _)m
2021年10月8日、新刊『逆転人生』を4名の素晴らしい方々と一緒に上梓いたしました。
内容を5名分、下のリンクより少しづつ公開させていただきます。
是非お読みくださいませ(^○^)
下の書籍が処女作です。
歴史上、だれも端的に述べられなかったフッサールの現象学が持つ本当の意味や、とても高名な方々が半分も理解していないヘーゲルの精神現象学などを、14歳にも分かるよう解説させていただきました。
是非ご覧くださいませm(_ _)m
書籍の紹介動画です。
お読みいただきまして、心より感謝いたしますm(_ _)m