治療家が知っておくべき「失感情症・失体感症」
どうもこんにちは、ハナダハヤトです。
今回はセラピストが知っておくべき
「失感情」「失体感」についてお伝えします。
我々セラピストには失感情症や失体感症の診断権はもちろんありませんが、日常的に接している患者の中で、特に心因的要素が背景にある患者では失感情や失体感の傾向が色濃く見られることがあります。
それに気がついて、適切な関わり方を模索していくことは治療を進める上で非常に大切なことです。
ぜひ最後までお付き合いください。
失感情とは
失感情症(アレキシサイミア)とは、「感情を失ってしまう病気」ではありません。
自分が抱いている感情への気づきが上手くできない
感情の言語化が乏しい
このような「性格の特性」を表します。1970年代にシフネオス博士が提唱したもので、現在では「心身症」との関連性が高いという見方が広くされています。
心身症について
心身症とは上記のようなもので、過敏性腸症候群、胃潰瘍、過換気症候群、じんましん、勃起障害など、自律神経系に端を発する病気が代表例です。そのうち、心理社会的ストレスが主たる原因となっているものについては、心身症の枠組みに入ってきます。
また、器質的異常がみられないにもかかわらず痛みをはじめとする症状が継続する「身体症状症」もこの心身症の一例です。
感情の気づきと表現が難しい
例えば、何か心無いことを言われた際に、人はストレスを感じ、悲しい、つらい、など様々な感情が沸き起こります。
そのストレスから人は逃れるために、回避する行動をとります。
その人と関わることをやめたり。
距離を置いたり。
あるいは仕事をやめたり。
和解を試みたり。
プライベートでストレスを解消したり。
嫌だったことを思い返すこと自体をやめたり。
また、
「悲しい」と感情を言葉にして人に伝えることも、その大事な一部です。
しかし失感情の状態では、
「あの人からこう言われた」という事実関係は説明できますが、
自分が「悲しい」と感じていることに気づいて認識したり、それを言語化して周囲に知らせたりすることが苦手です。
したがって、回避できずにストレスを受け続けることになります。
失体感とは
失体感症とは、本来感じているべき体の感覚への気づきが上手くできていない状態です。
1979年に池見酉次郎によって提唱されたもので、現時点では研究段階の概念です。
失感情と同様に、頭で体感を知覚できず、気づくことができないままストレスを受け続けてしまいます。
疲労を感じなければならないのに、それを感じられない。
空腹を感じなければならないのに、それを感じられない。
といった具合です。
何かに集中しているときなどに、このような状態になることはあります。しかしあくまで一時的なもので、失体感症ではそれが常態化します。
失体感の3要素①
失体感は「体感同定困難」「過剰適応」「体感に基づく健康管理の欠如」の3要素があります。
「体感同定困難」は、先に述べたような、体の感覚をとらえることができない状態です。
無理をしている
緊張度合
疲労感
体調を崩すリスク
満腹度
休養願望
主にはこれらのような「生命の維持」において重要な体感について、自覚が乏しくなります。
失体感の3要素②
「過剰適応」とは、無理をしていると分かっていながらも、社会や環境に無理に合わせようとする状態です。
自己犠牲を払って頑張りすぎてしまい、その環境が明らかに悪いにもかかわらず、自分の身を守る策を講じられません。
休息が必要だと分かっているが、仕事や家事、学業を優先してしまう。
熱が出ても仕事や家事、学業をする。
眠くても仕事や家事、学業を優先する。
といった行動のパターンがみられます。
失体感の3要素③
「体感に基づく健康管理の欠如」は、健康に気を使った行動の度合が低いことを指します。
体調に気を付けているか
食生活に気を付けているか
病気になる前に体の不調に気が付けるか
気分転換を図るようにしているか
適度な運動を心掛けているか
入浴はリラックスできているか
呼吸を整えるなどをして、気持ちを落ち着かせることができるか
といったように、
「体調を管理する上でどうしたらよいか?」について、一定の考えを持っていたり、行動が伴っているかどうかは、健康維持において必要不可欠です。
失体感や失感情に気づく必要性
ここまでお読みいただいて、まっとうに臨床と向き合ってきたセラピストであれば、失体感や失感情を背景としているような患者と出会ったことが必ずあるはずです。
失感情や失体感は、心の状態が体の症状として現れる「身体化」が生じる非常に強い要因となります。そうなると、ただ揉みほぐしていれば、根本治療をすれば、絶対に良くなるとは言えません。
皆さんも日々施術をする中で、「心因性(内因性)」と考える症例と出会うことがあるかと思います。
解剖学的な見立てで治療しても、小さな痛みがなかなか取れない。そんな時に心因性を疑うことがあるかと思いますが、その先の考察を諦めて「気持ちの問題」で片付けしまってはいませんか?
ハナダはこれが嫌いです。
「気持ちの問題」という判を押したその患者が、「いったいどのような気持ちの問題を持っているのか?」の深掘りや推測は十分にできていますでしょうか?
「解剖学的アプローチで変化がない=気持ちの問題」として何となく考えることを放棄してしまうのは患者にとっても、先生ご自身にとっても不利益です。
共感的態度のとり方
ハナダはこうした心理背景を持つ患者に対して、「決めつけた言い回しを極力排除する」ことを意識します。
仕事をしてきた。学校に行ってきた。ライブに行ってきた。プレゼントもらった。帰省してきた。
などなど、様々なエピソードを患者から聞きますが、その際には「どんな気分でしたか?」とオープンな投げかけをして、その人が、その人自身の言葉で言語化した生の感情を聞き出すように試みることが多いです。
「楽しかったね」「大変だったね」のような、こちらから感情を既定するような形で、共感的態度をとろうとはしないようにしています。
すなわち、相手の感情を予測することを最小限にとどめているということです。
そしてなるべく、相手が選んだ「辛い」という言葉を聞いてから、「辛いですね」とあえて過去形にしない形で相手の表現した言葉になぞらえて共感的態度をとるようにしています。
患者の抱えた問題を、患者の外から眺めるスタンスにはならないようにしています。
ハナダはこの言葉が大好きです。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。
伝わりますでしょうか。
花田は新患対応で何を見ているか?
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