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親になるとは

結婚前全く裁縫の出来ない私を心配した母は、自分の洋裁の先生に私を通わせる話を勝手に決めてきた。ボタン一つ満足に付けられない様では嫁にやれないというので、付け八重歯的洋裁修行に行かされたわけだ。
好きではないが、仕事を辞めており時間はあった。何より家から目と鼻の先だったので、しょうがないと諦め渋々通っていた。

この先生はO先生と言って、母より少し年上の女性だった。
熱心なカトリック教徒で、家にはズラリと聖書が並んでいた。クリスマスには料理やケーキを作って、近所の子供達に振る舞った。食べる前には必ず先生と一緒に"お祈り"をした。そんな経験は初めてで新鮮な気がした。
とても優しく穏やかな方で、私も子供の頃から好きな近所のおばさんだった。

O先生ご夫妻には子供がなかった。永らく治療をされたが子供が出来ないので、血液検査をした所先生ご自身に病が見つかったとの事だった。
国から難病に指定されている病気とかで、先生は時折入院されたりしていた。だが日常生活を送るには大きな差し支えはないとかで、普通に生活されていた。

ある時、先生ご夫妻は男の子二人の親になられた。狭い所だからすぐに近所中の噂になった。だが先生は子供の素性について誰にも何一つ語る事はなく、子供二人は友人達から自然に『O君』と呼ばれていた。
きっと血の繋がった兄弟なんだとか、子供好きな先生の事だから一人より二人が良いと要望したんだろうとか、色んな憶測が小さな町に流れた。あの歳で身体弱い癖にようやるわ、とか他所の子供なんてどんな性根の子かわからんでとか悪く言う人も居れば、奇特なお人や、とても真似できんと感心する人もいたが、総じて皆興味本位で見ていたと思う。

周囲の噂を多分ご存知だったとは思うが、しばらくして先生はもう一人女の子を養子縁組された。聞いた時はとても驚いた。合計3人を養子縁組するなんて、あまり聞いたことがなかったからだ。
私の母には
「どうしても女の子欲しくてね」
とにこやかに言っておられたそうである。

私が洋裁を習い出した頃は、長男さんがご結婚され、末っ子の女の子が高校生だった。
子育ても一段落された先生はしみじみ、
「とっても大変だけど、子供って可愛いわ」
と笑顔で言っておられた。とても実感がこもっていて、本当に長い間子供がほしかったんだな、と思った。

洋裁教室の時に先生が話されるのを聞けば、中学生の頃ご長男はかなり荒れて警察のお世話になったり、学校に呼び出される事も度々あったそうだ。次男さんは高校を中途退学したとの事だった。
普通なら悩ましい状況だと思われる。

だが先生は、
「長男はやんちゃいっぱいしてね、あんまり成績も良くなくて、なんとかお情けで今の会社に雇ってもらったんだけど、そこの社長さんに気にいられてね、お嬢さんと結婚したのよ。お父さんもだけど、この子がとってもいい子なの。子供が出来たら急に長男もうちによく来てくれるようになってね。
次男はいろんなアルバイトしてるけど、不思議と何処へ行っても可愛がられる子でね。地元の子供のサッカーチームのコーチしたりして、子供にも慕われてるの。
長女はね、服飾デザインの会社に行くって勉強してるのよ。血が繋がってないのに、母娘って似るのねえ」
ととても嬉しそうに話してくれた。
先生は自分の子供達の現在の様子が嬉しくてしょうがないようで、とても幸せそうだった。

父親になって初めてご長男は、ご両親の偉大さがわかったのではないかな、と思った。
いきいきと好きな洋裁に打ち込む母親を見ていたご長女は、自然と洋裁の道に進む事を選択したのかも知れない。
クリスマスの度に、近所の子供達にご馳走していた先生の精神が、ご次男には受け継がれているのだろう。

親子には血の繋がりは重要ではないのだと、先生を見ていて思う。
子供一人一人の成長を喜ぶ、途中で何があっても信じて寄り添う、夢ややりたい事を大事にする。
先生は普通に実践して来られたのだろうが、実の親でも難しい事だ。

子供を巡る色んな事件を耳にする時、いつもそんなO先生の事を思い出す。


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在間 ミツル
山崎豊子さんが目標です。資料の購入や、取材の為の移動費に使わせて頂きます。

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