距離を詰める人々
レジに入っていると、我々との距離を必要以上に『詰めて』来られるお客様が必ず一定数いらっしゃる。
コロナが第五類に移行するまでは殆どいらっしゃらなかったが、このところ物凄い勢いで増えつつあると感じる。
レジ台に身を乗り出し、顔をこちらに近づけてお話しになる・・・。
お買い上げ頂くのは嬉しいが、あんまり有難くない行為である。
耳が遠い訳ではなさそうだ。
こういうお客様には大体共通する特徴がある。
男性で、年齢は七十代くらい。やたら楽しそうにニヤニヤしておられる。そしてこちらが『こんな知り合いいたっけな?』と錯覚しそうになるくらい、異常にフレンドリーである。
そして大変不思議なことなのだが、約九割以上がご夫婦連れで来られる。
奥様の反応にも、一定のパターンがある。
先ずは『その人誰?私とは無関係よ』的な冷たい反応の方。
レジから遠い所で、そっぽを向いておられることが多い。あまりによそよそしいので他人かと思ったら、お会計の終わった旦那様と一緒に粛々と帰っていかれるので、なんだご夫婦だったのか、と驚くことも多い。
旦那様の馴れ馴れしさが恥ずかしいけれど、すっかり諦めているのだろうか。
次にレジに一緒にやってきて、
「もう、なに言ってんの!要らない事言わないで!」
と旦那様を突いたり叩いたりしながら、やきもきする方。こちらを見て
「すいませんねえ」
と謝って下さる方もある。
旦那様はそんなこと一向にかまう風もなくへっちゃらで距離を詰めてくるので、レジ前では引き留めようとする奥様と旦那様の、ささやかなバトルが繰り広げられることもある。
奥様に頑張ってと言いたい気分なのだが、そういう訳にも行かない。目のやり場にも、声のかけ方にもちょっと困ってしまう。
どっちもどっちのような気もしなくもない。
次に遠くから黙ってずっと旦那様の背中を睨みつけている方。
旦那様の背中を睨んでいるという事は、その正面にいる私の顔を睨んでいることにもなるので、ちょっと怖い。
旦那様は奥様の視線を知ってか知らずか、調子よくペラペラ喋ってお会計を済ませると、奥様の所に戻って行く。そして大抵、勢いよく腕などを叩かれている。
「私以外の女に、鼻の下伸ばすんじゃないわよ!」
というところなのだろうか。
まあレジ前でバトルされるよりは良い。
何故こういう男性は、わざわざ奥様の見ているところでレジ係と距離を詰め、誤解を招くようなことをするのだろう。不思議で仕方ない。
グラマラスな美女や、若くて可愛い学生バイトに対してならわかるが、辛うじて数十年下なだけの薹が立ったオバハンに、である。ますますわからない。
そこで私なりに彼らの心境を推測してみた。
先ずは単なるスケベオヤジ。
一番尤もな答えだろう。女性なら誰でもいいや、という人である。きっと生息数はかなり多いだろう。
あとは無類のお喋り好き。
奥様が無口で、家で喋り足りないうっぷんを買い物の時に晴らしているのではないか。
一般的には男が無口で女がお喋り、なんてことになっているけれど、逆パターンもあるのかも知れない。無口な旦那に飽き飽きした奥さんは近所の奥さんとペラペラ喋れば良いが、無口な奥さんに飽き飽きした旦那さんは近所の奥さんとは喋りづらいだろう。ここに来れば誰かが必ず喋ってくれる。
安心できるのかも知れない。
もう一つは『実は奥様の気を引きたい』方。
見知らぬ女と親しそうに喋っているのをわざと見せつけ、妻を嫉妬させたい・・・なんて姑息な根性を持ってらっしゃるのではなかろうか。
だとしたらなかなかいじらしい奴だ。奥様だって、きっと妻冥利に尽きるに違いない?
まあ穿ち過ぎかも知れない。居ても希少種だろう。
どんな理由があるにせよ、異常に距離を詰められるのは嬉しくない。
私は対策として、
・さりげなく一定のディスタンスを保つ
・相槌は適当に打つ
・話の内容に深入りせず、あくまで冷静にやり取りする
という事を常に心掛けている。
こちらは商売、向こうはお客様。
商売としては割り切って、人間としての自分はちゃんと守って、気持ちよくお買い物頂くのみ、である。
そしてもう一つ、私がこういうお客様に対して気を付けていることがある。
それは
・お帰りになる時は、奥様に対してもキチンと頭を下げて丁寧にお見送りする
ということである。
旦那様がデレデレしていた相手が自分の方に全く見向きもしなかったら、気分的に面白くない方もいらっしゃるだろう、と思うからだ。
こちらが手続きする間、お待たせしたお詫びの気持ちからでもあるが、旦那様の代わりに謝っているような気がする時もある。
それにしても、見知らぬ年配の男性にニヤニヤしながら距離を詰められるのは、私の年齢であってもあまり良い気持ちはしない。若い人はもっと嫌だろう。
お客様にはマナーとして、適切なディスタンスは保って頂きたいものだと、切に思う。