見出し画像

食いしん坊ばあちゃん

母方の祖母は大変味覚が鋭く、美味しいものに目がなかった。私の実家のある県は蜜柑や柿、桃等の果物がよく採れる所だったから、祖母はいつもウチからのそういった贈り物を心待ちにしていた。贈った後、祖母からの礼電を受けた母が
「(近所に住んでいる)姉ちゃんとこにも分けてあげてよ」
と念押ししても、返ってくるのはいつも生返事ばかりだった。後からおば達に聞き取り調査をすると、大抵ほんの数個くらいしか分けてもらっておらず、
「おばあちゃん、殆ど一人占めしたんや!」
と驚いたり、呆れたりして大爆笑したものだった。
とんだ食いしん坊ばあちゃんだった。

食べることは大好きなくせに、祖母は料理するのはあまり好きではなかった。が、味のこだわりは大変強いので、雑に作る割には美味しかった覚えがある。
何が雑かというと、先ずは素材の切り方である。私達孫が行くと、祖母は普段は作り慣れないカレーを張り切って作ってくれたのだが、いつも具がメチャクチャ大きかった。今でこそ、そういうお洒落なカレーも世の中には普通に存在するが、当時はただの「でっかい具のカレー」でしかなかった。第一、小学校低学年の女の子の口には大きすぎた。
ウチの母のカレーは、父の好みに合わせてまた極端に具が細かかったので、祖母宅のカレーはいつも嬉しいような、でもなんか違うような気がしながら食べていた。

なんのキッカケだったか忘れてしまったが、祖母が祖父に
「私は材料を『切る』っちゅうのが面倒くさくてかなんわ。小そう切るのは肩こってどもならん」
とこぼした時、祖父がニヤニヤしながら
「そう言えば昔、お前の作ってくれる弁当に入ってる紅生姜、歯形がついとったのう」
と言った。
一瞬なんのことか理解できず、私と妹はキョトンとしてしまったのだが、母が腹を抱えて大笑いしながら説明してくれたので、漸くわかった。
昔の弁当は白ご飯に梅干しを入れるのが定番だが、梅干しの代わりに祖母は時折、自分が漬けた紅生姜を入れていたそうだ。梅干しだとつまんでそのまま入れれば良いが、生姜は一つそのままだと大きすぎる。必然的に包丁で切らねばならない。
しかし、面倒臭い。そして紅生姜は祖母の大好物でもある。
かくして、祖母の前歯によるカッティングがなされた紅生姜の片方は祖父の弁当に、もう片方は祖母の胃袋に収まった、という訳だった。
衛生的にもかなり大きな問題があると思うし、そもそも弁当のおかずを歯でカットするという発想はかなり斬新だと思う。私もかなりの料理嫌い且つ面倒臭がりだが、さすがに調理に自分の歯を使用したことは弁当に限らずない。
恐るべきばあちゃんである。

「イヤーあんた、気付いとったん!」
と祖母は祖父に向かって笑いながら言った。そのすっとんきょうな一言が更に可笑しくて、私達はまた大笑いした。
「『ああ、包丁使うのが面倒やったんやのう』と思うとった」
としれっと言った祖父こそ、良い面の皮だと思う。勿論黙って残さず食べて帰ったのだろう。そこに愛を感じる、と言って良いのかどうか。
底抜けに優しいのか、こういう奴だから注意してもしょうがない、と諦めていたのか。今となっては聞きようもない。

和裁は上手で、近所の人に頼まれてよく黒留袖などを縫っていた祖母だが、料理はずっとこの調子だった。
だが祖母お手製の梅干しや紅生姜はとても美味しかった。自分が美味しいものを食べないと気が済まないので、材料をケチらないのと、そういう手間は惜しまないのが美味しさの理由だろう。
幸いウチの母は祖母に似ず、料理はマメにする人だった。が、私は料理嫌いである。妹は料理上手だから、私にだけ隔世遺伝したのかも知れない。
「無精は泣くほどかなん(嫌だ)」
とよく言っていた祖母だが、これ以上の無精もなかろうと思う。
これまでもこれからも、私は調理に絶対歯は使わない!