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ユリさんの思い出
カレーを作ると必ず思い出す一人の古い知人がいる。名前はユリさんという。いや、ユウリさんだったかも知れない。字もうろ覚えだ。小学校五、六年生の時に同じクラスだった子である。
特に親しかったわけではない。家も近くではなかった。一緒に遊んだこともない。じゃあなんで覚えているのか。
彼女は殆ど笑わないし、喋らない子だった。授業中先生に指名されて立ち上がっても、何も発言できない。試験の成績は普通だったから、理解できなかったわけではないと思う。だが不思議なことに近所のお友達とは普通に遊んでいたらしい。男子にはそのことを指摘されてからかわれていた。担任にも「ほら、もっと大きな声で」などと注意されたりしていた。
場面緘黙という症状について、その頃は恐らく教師にもあまり理解はなかったのだろう。彼女はおそらくそれだったと思う。声を出すのが怖そうだった。ほんの数人の友達とは喋っていたが、学校で大きい声を出すことも笑うこともなかった。教室の椅子に一生懸命座っている、という感じをうけた。
とてもおとなしい子、当時はそんな認識ぐらいしか持っていなかった。
当時は小学六年生になると、家庭科の授業で調理実習があった。男の子と女の子が数人ずつグループになって行うが、材料の買い出しは手分けして行うことになっていた。
ある時私はユリさんと同じ班になった。メニューはカレーである。誰が何を買いに行くか、を決めることになった時だった。
「オレ、肉は嫌や。わからん」
男子は全員「肉購入係」を拒否した。角切りが良いのか薄切りが良いのか、牛か豚か、一人何グラムか、どんな部位を買うものなのか、てんでわからないからという理由だった。多分女子以上に肉を消費する癖に、ズルい。
かといって私達女子も食事づくりはみんな母親任せだったから、肉のことなどわかりかねた。みんなで目を見合わせてどうしようという雰囲気になった時、ユリさんがおずおずと手を挙げ、消えそうに小さな声でこう言った。
「私、肉持ってくる」
ユリさんが自分から手を挙げて発言するだけでも十分驚くのに、みんなが尻込みしている肉の係になってくれるというので、とてもびっくりした。みんな呆気に取られて一瞬シンとなった。
「お前、ホンマに大丈夫なんかあ?」
一人の男子が疑わしそうに言った。自分では買えないと言った癖に、横柄な口のきき方である。
いつもなら男子にそんな風に言われると、肩をすぼめて俯き目線を上げず黙り込んでしまうユリさんだったが、その時のユリさんは自信たっぷりに顔を上げ、でも相変わらず小さな声でこう返した。
「私のお父さん、お肉屋さんやってたからわかる」
意外な答えに、班のみんなからおおーと感嘆の声が漏れた。
「すげー!かっけー!」
男子は皆こういってオーバーに驚いた。私はそこまでオーバーアクションはしなかったけど、「わあ凄いなあ、ユリさんのお父さん!」と感心した。
サラリーマンの娘である私にすれば、働いている様子を想像しやすい自営業のお父さんがカッコよく思えたのである。多分男子もそんな感じだったのだろう。
他の班の子達も
「どうしたん?何々?」
と寄って来る。
「こいつのお父さん、肉屋さんやってんて」
「ウソー!スゲー!」
男子は何故かこういうことをいちいち大げさに騒ぐから、ユリさんはたちまちクラス中の注目の的になってしまった。
ユリさんがこんなに注目されるなんて、嘗てなかったことである。ユリさんはやっぱり肩をすくめて、とても恥ずかしそうだった。でもちょっと嬉しそうでもあった。
私と目が合うと、ユリさんは首をすくめて照れ臭そうに笑った。
ユリさんのそんな顔を見たのは初めてだった。
ユリさんの持ってきたお肉は牛の角切りで、綺麗に竹の皮に包んであった。他の班の子達もスーパーのパックしか知らないからか
「すごい!なんやこれ!竹の皮や!」
と興奮気味だった。
ウチのカレーはずっと薄切りだったから、初めて見る角切り肉はレストランのカレーみたいだなあ、と珍しく思った。
勿論カレーはとても美味しくできた。初めて食べる角切り肉は食べ応えがあって美味しく、帰宅して母親に「今度からカレーのお肉は角切りにしてよ」と頼んだくらいだった。
母からは私の意見は却下されてしまったが、大人になって自分が作るようになってからはずっと角切り肉を使っている。
ユリさんのお父さんはきっと、ひときわ丁寧に包んで持たせたのだろう。当時は分からなかったけれど、人の親になった今ならその時のお父さんの気持ちに思いを馳せることが出来る。
ユリさんもお母さんになっているんだろうな。
カレーを作る度、あのはにかんだ笑顔を懐かしく思い出している。
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