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思い込み

クラリネットの師匠のK先生に昔聞いた話である。

先生は日本の芸術大学を卒業後、ヨーロッパのある国に留学され、そこのオーケストラや歌劇場で演奏しつつ勉強をされていた方だ。
その国ならではのあるある話はとても面白く、いつも興味深く聞いていた。

先生が現地のオーケストラに所属して間もない頃のある日、楽団員のいかつい男性二人がおもむろに近づいてきて、
「僕達、結婚したんだ!よろしくね!」
とにこやかに告げたという。まだ20代の先生は、呆気にとられて咄嗟に返事が出来なかったそうだ。
だが、似たような話を留学中に何度も見聞きするようになり、やがて、
「そりゃ良かった!おめでとう!」
と普通に返せるようになった、と話して下さった。
欧米人と日本人の意識の違いを感じされられたお話だった。

話は変わるが、私の同僚のSさんは元幼稚園教諭である。だがもう保育の現場には戻りたくない、という。
ニーズはいくらでもあるし、Sさんはのんびりと気が長く、とても気さくで良い人柄なので、きっと子供にも保護者にも好かれるだろうと思って、もったいないねえ、向いてそうなのに、というと、
「私、子供の相手しんどいって言うより、園長先生とか年配の先生の相手がしんどいんです」
とため息混じりに話してくれた。
誰でもサラリと相手にしてしまいそうなSさんなのに意外な感じがしたが、Sさんを以ってしてもしんどいのが幼稚園教諭の上下関係なのかも知れないと思った。

もう一つ別の話で恐縮だが、うちは毎年墓参りの為に、お盆に本家筋の夫のいとこ宅を訪れる事になっている。
いとこ夫婦はとても気さくで陽気な人達で、いつも楽しく食事をしながらお互い近況を語り合う。

お嫁さんは、地元の大手スーパーの寝具売り場で働いているのだが、昨年の墓参り時、電子決済の普及の凄さがみんなの話題に登った時に、
「最近はこーんな腰曲がったおばあさんでも、『お支払い方法は?』って聞いたら『ペイペイで』って言わはるねんで。ビックリするわあ」
と大真面目に話してくれたので、親戚一同大笑いになった事があった。

若かりし頃のK先生には、
『結婚は男と女がするもの』
という思い込みがあったと言うことになるし、
私には、
『Sさんはどんな人の相手も、苦もなく上手に出来る人』
という思い込みがあった。
夫のいとこのお嫁さんには、
『腰の曲がったおばあさんはペイペイなんか使わない』
という思い込みがあった事になる。

人はどうしてもそれまでの経験から、自分なりの『思い込み』を持ってしまうものだと思う。『世間一般ではこうだろう』『世の中の人のうちの大多数はこう考えるだろう』という予断を無意識のうちに持ってしまう。
人がこうした予断を持つのは、生きていく為に必要だったからで、そういう周囲の環境で育った結果だと思われる。

その点、子供は純粋でまっさらだ。
子供はよく『どうして?』と聞く。新たに得た知識に、自分なりに納得したい。
だから小さいうちに
『結婚は好きあった者同士が、性別に関係なくするもの』
と言う知識に納得すれば、それがその子の思い込みの最初になる。
育つにつれて他人に批判されたりして、あらためて自分の思い込みを疑うようになり、自分なりの考えを形成していくのだろう。
『サンタさんは絶対いる』と言っていた子供でも、大人になれば一人も信じなくなるように。

年がいくほど、思い込みは頑固になる。引っ張り剥がすのが難しくなる。

出来るだけ色々な人と出会い沢山話す事が、頑固な思い込みを手放し、楽でいられる秘訣なのかも知れない。