出不精な妻と出べそな夫
私は人混みが苦手である。息が詰まるような気がする。人混みどころか、5、6人以上の不特定多数になるともうダメだ。行列に並ぶなんて論外。例外は、吹奏楽の合奏である。100人いたって平気である。演奏出来る楽しさが、苦手意識を吹き飛ばすようだ。
クラシックのコンサートも平気。並ぶのも平気。混み合っててもかえって期待値が上がる。
という訳なので、人が多いのが苦手、と言っても私の場合いい加減なものだ。
でもやはり人混みに高確率で出くわすGWは、なるべく家にいたい。お家でまったりゆっくり、本を読んだりドラマを見たりしたい。夏物もそろそろ出したい。天気が良ければ冬物の洗濯をして、片付けたい。
夫も人混みは嫌いだが、外には出たい人である。よく遊びに出て帰ってこない子供を「糸の切れた凧」等と表現する事があるが、まさにそれである。早朝から夕方まで何処へともなく出かけて行く。
ある時はドライブ、またある時は山。趣味の仲間のイベント、バイクツーリング。まあじっとしていない。
そんなにあちこちで遊ぶ暇があるなら、部屋にたまったゴミを少し片付けたらどうかなあ、とこっちは思うが、本人の頭に片付けの事はこれっぽっちもない。
まあ、本人が良いならそれで良い。とっくに諦めてもいる。
だが、夫は時折私を連れて一緒に外出しようとする。これが私にとっては大問題である。
夫はいつもバラバラに休日を過ごすのは味気ない、というのだが、休日を上記のように過ごしたい私にとっては、ありがた迷惑である。
友人達は、可哀想に旦那さんにたまには付き合ってあげなさいよ、と言う。私は妻思いの夫を迷惑がる、酷い女だと言う訳である。しかし私には言い分がある。
普通の日程なら問題はない。が、夫は何処へ行くのでもかなり強行軍なのである。
ちょっとかわいいカフェを見つけて寄ろうと思っても、「次は〇〇に行くから時間がない。行くぞ」と素通り。急いで次々と目的地を"制覇"していく。1泊2日でこなすような日程を1日で終えようと、ギュウギュウに予定を詰め込む。私の楽しみはそこにない。
行程が終わる頃には夫は充足感でいっぱいのようだが、私はクタクタ。でも夕飯は家で普通に用意するパターンが多い。拷問に近い仕打ちである。もう今度こそ外出の誘いを断るぞ、と毎回決意する羽目になる。
何度かこういう沙汰を繰り返し、時には半分喧嘩のようにもなった。後味悪いったらありゃしない。なんの為の休日かわからなくなってしまう。
最近になってやっと、夫に遠慮せず本音を話せるようになった。夫に対する恨みがましい気持ちを抱く前に、自分の心情をじっくり理解し、「自分はどうしたいか」にちゃんとフォーカス出来るようになったからである。
私を外出に誘ってやろうという、夫の気持ちは本当に嘘偽りのない好意で、悪気はない。いつも家に一人、私をおいて自分だけが出かける事がつまらないのだろう。同じ景色を見て一緒に感動したり、後で思い出話をしたり、したいのだと思う。
私がどうでもいい存在なら、そうは思わない筈だ。
だが、残念ながら私は夫ほど体力がない。扁平足なので、ちょっと歩くとすぐ疲れる。
せっかく行くならその地の美味しいものを味わったり、素敵な場所でゆっくり休憩もしたい。お土産も色々見たい。あまり一気に沢山の場所に行くより、一箇所をじっくり楽しみたい…
といった事を夫に話してみた。
夫はじっと聞いていた。ちょっと不満そうだったが、わかってくれたようだった。
次にでかけた時もやや強行軍気味ではあったが、途中何度か休憩を挟んでくれたし、私が足を止めた時には一緒に止まってくれた。それが世間の普通だとは思うが、我が夫にとってはかなりの譲歩であると思う。時折大丈夫か、疲れていないか、と聞いてくれたのは今までに経験のない事だった。
帰宅してからの食事は、以前から私が気になっている、と言っていた店に連れて行ってくれた。
夫なりの精一杯の思いやりだったのだと思う。素直に有り難く嬉しかった。
今回の事で、夫婦はわかってくれ!とお互い主張するばかりではだめなのだと思った。
相手の思う『思いやり』とこっちのほしい『思いやり』は、食い違う事があって当然だろう。それをそうじゃない!と一刀両断するのでは、わかり合う事は出来なくなる。
相手がどういう気持ちでそう言ったのか、そこに丁寧に思いを馳せ、それに対して自分がどう思ったか、を先ずしっかり自分に確認する。そして、本当は自分はどうしたいのか、を自信を持って『感情的にならずに』相手に伝える。相手と自分に対する本当の信頼があれば、嫌われるかも、怒られるかも、と怖くなる事はないはずだ。そして相手も、自分を本当に信頼していればわかってくれると思う。
と言う訳で、今年は平和なGW後半が過ごせそうである。