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やりきれない話

母から聞いた話である。

うちの母は小学生の頃、とても小さく痩せた子供だった。女の子の体形がそれなりに『女性』らしくなっていく高学年になっても一向にその気配はなく、いつまでも『お子さま』だったそうだ。
勿論話題もおませな子達とは合わず、どちらかというと男の子と遊ぶような具合だったという。

そんな母をとりわけ贔屓にして可愛がってくれたのが、6年生の時の担任のN先生だった。母が自分が小柄な事を気に病む様子を見せると、
「”山椒は小粒でピリリと辛い”んやで。お前は山椒や」
と励まし、
「さあ、なんぼでも背え伸ばしたるぞ。飛べ、飛べ」
と言って両手を持ってジャンプさせてくれたりしたそうだ。
九九の苦手な子が多いのに驚き、全員が最後の段まで言えるようになるまで、熱心に指導してくれたとも言っていた。

母はN先生が大好きで、私達姉妹もよく先生の思い出話を聞かされたものだった。
私たちが高校生になる頃だったと思うが、先生は亡くなられた。母は里帰りのついでではあったが、先生の仏壇に手を合わせに行った。

それからしばらくして30年以上ぶりに小学校の同窓会があり、母は喜んで出かけて行った。が、帰るなり、
「ショックやったわ。私だけ、何も知らんかったんや」
と言ってうなだれてしまった。

訳を聞くとこうだった。
誰からともなしにN先生の話になり、母がお参りした話を涙まじりにすると、一緒にいた同級生の間に嫌な空気が流れた。
「どうしたん?先生なんかあったん?」
母が聞くとおませグループだった一人が
「Kちゃんは知らんやろな。私ら、先生にいっぱい嫌なことされててんで。うちなんか、お母さんが校長先生に文句言いに行ったくらいなんやから。死んだって聞いても何とも思わへんだわ」
と吐き捨てるように言った。
「嫌なことって何?えこひいき?」
母がきょとんとして聞くと、その同級生は
「私らな、胸とかお尻とか触られたり、キスされそうになったりしててんで。凄い嫌やったで」
と言ったのである。
母は驚きのあまり、言葉が出なかったらしい。

その同級生が話し出したのをきっかけに、その場にいたメンバーが口々に先生にされたことを喋りだし、母はもっとびっくりしたそうだ。
「私はお子ちゃまやったから、先生のそういう対象ではなかったんやなあ。40年近く、ええ先生やと思ってきたのにな。知らぬが仏や。ひょっとしたらお父ちゃんが教育委員会にいたからかもなあ」
母は苦笑いしながら、そう言ってまたうなだれた。
私も良い先生としてのN先生のお話ばかり聞いてきたから、とても驚いてしまった。
そんなことされずに済んで良かったとは言え、母を誰よりもお子ちゃまだと思っていたのは当のN先生だったのかも知れない。
母はさぞかしショックだったろう。

祖母の家で、N先生と母が一緒に写っている写真を見た記憶がある。
パンツが見えそうに短いスカート姿で、前髪はワカメちゃんのようにぱっつんと切った小学生の母が笑顔でバンザイをしている。その両手をN先生が持ってぶら下げている。ちょっと見、親子のようであった。
母の記憶の中のN先生はきっとこうだったのだと思う。

もうこの世の人ではないけれど、N先生は自分を慕ってくれる教え子を、自らの行動故に30年以上経って失った訳である。
人は誰だって過ちを犯す。『罪を憎んで人を憎まず』という言葉だってある。
でも、やってしまったことも、言ってしまった言葉も後からは消せない。
『出来心』だったのか、『病気』だったのか、今となっては知る由もないが、罪なことをしたものだと思う。

「人はわからんなあ。まあ私が世間知らずやった、っちゅうこっちゃ」
母が自嘲気味に言いながらさみしく笑った表情が、今も私の脳裏にまだかすかに残っている。
そして同時に、あの写真のN先生と子供時代の母のはじけるような笑顔を思い出す。

やりきれない話である。







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