下手の横好き
私がクラリネットを吹き始めたのは、勤めだして3年経った頃だ。正確に言うと、中学生の時は吹奏楽部に所属していたのでその時では、と思うが、ランニングやら先輩達の譜面台出しやら、コンクール時の荷物運びやらの記憶の方が、吹いていた記憶より多い。当時は自分の楽器も所有しておらず、その上親から受験のことを考えてやめろ、と言うプレッシャーが大きすぎ、結局1年で辞めてしまった。そのあとは吹奏楽とは無縁の生活だった。
早朝から深夜まで働きづめだった20代の頃、休日はしんどくてほぼ寝てばかりだった。ある日ふと、このまま人生過ぎて行ったら、私に何が残るのだろう?と疑問を抱いた。そして怖くなった。会社にとっては私は所詮使い捨てではないか。全てを捧げるのはやめよう、そう思ってクラリネットを始めたのである。
かくして今まで25年以上吹き続けている。同じ中学時代のクラリネットパートにいた同級生で、続いているのは私ともう一人だけである。間に出産や引っ越しでの中断はあれど、何故こんなに続いているのか、と言えば「クラリネットを吹くのが好きだから」の一言に尽きる。何故こんなに好きなのか?突き詰めて考えたことは今までなかった。
まず、クラリネットの音色が好きである。ドヴォルザークのチェロコンチェルトや、チャイコフスキーの「悲愴」の冒頭のような深く暗い悲しい音色。「メモリーズ・オブ・ユー」の冒頭のような甘く切なく気だるさを感じる音色。ヴェルディの「運命の力」の中間部のSoloのような明るく広がりのある音色。ガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」のようなおどけたコミカルな音色。あらゆるシーンでその広い音域を活かした表現が可能だ。
そして、「大勢と一緒にサウンドを作れる」事も好きである。ユニゾンがぴたりと合った時の快感、ハーモニーが美しく倍音を響かせた時の、ほろ酔いにも似た心地よい気分は何とも表現のしようがない。
そして私は何より「表現すること」が好きなのだと思う。プロの奏者のように、作曲家の生涯などをしっかり勉強して、意図を深く汲んだり、この曲を後世に残さねば、なんて使命感を持って演奏することは勿論ないし、出来ない。だけど、自分なりに「表現すること」を楽しみたい。活け花の作法は知らないけど、花を飾る事は楽しみたい、というのに似ているかもしれない。
楽器を演奏するのには体力も集中力も必要である。どちらも年齢と共に衰えるばかりではあるが、「その時の自分」が最高に楽しめるように続けていければ幸せである。