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やってみなさい

私がクラリネットを習い始めて数年経った頃の話である。
所属していた楽団の音楽監督のY先生は、練習の度に
「バスクラリネット、なんとか出来ませんか?」
と仰っていた。
吹奏楽団に於いて、バスクラリネットは木管低音と呼ばれるグループに属する。私のような音楽を専門に学んだことのない人間にはあまり深く理解はできないのだけれども、指導をして下さるプロの先生方はこの楽器が編成にないと、必ずと言って良いほど誰かに吹かせたがる。
Y先生も例外ではなかった。

バスクラリネットは、学校の吹奏楽部でもたいていある。
しかし普通のクラリネットが十人とかの人数なのに対し、多くても二、三人までしか必要ない。そして普通のクラリネットに比べると、『自分の楽器が欲しいから買いましょう』と気軽に買えるお値段ではない。
つまり経験があって楽器を所有しているという人が、普通のクラリネットに比べて圧倒的に少ない。
だから人口の少ない地域ではバスクラリネットが不在、という一般楽団もちょいちょい聞く。

当時は有難いことに、ウチの楽団のクラリネットのメンバーは十人以上になっていた。一人をバスクラリネットに回したって、十分に編成が組める。
「やってもらえませんかね?」
Y先生の毎度毎度のソフトな口撃?に、私は自分がコンバートすることを考えるようになった。
でも当時は楽器も持っていなかったし、以前人のを借りて吹いた時はあまりキチンと吹けなかったことがあって、ちょっと自信がなかった。

ある日のレッスンが終わった後、師匠のK先生に尋ねてみた。
「先生、私楽団でバスクラリネットをやってみようかな、と思ってるんですけど・・・どう思われますか?」
その時先生は自分の本番用の譜面を軽やかに吹いていらしたが、ぱっと練習の手を止めて、
「貴女はバスクラリネットを吹きたいんですか?」
と仰ると、じっと私を見た。
先生は時折こういう、私の気付いていない私の意思をえぐりだすような質問の仕方をなさる。
逃げられない気分が何とも居心地悪く、私は天井を仰いだ。
「うーん・・・『吹きたい』かあ・・・正直言うと『やっても良いかな』くらいですが。興味はある、というくらいです」
はっきりしない返事をすると、先生は私に向き直り、
「自分が吹きたくないものを、吹く必要はないんじゃないですか。『本当はクラリネットを吹きたいのに、我慢してバスクラリネットを吹く』というならお勧めしません。でもバスクラリネットを吹くことはいい勉強になりますから、『吹いても良い』と貴女が思うなら、良いと思いますよ。是非やってみなさい」
と静かに仰った。

貴女は、どうなのか。
グニャグニャして輪郭のぼやけた自分の意思を述べると、先生はいつもこう私を問いただした。
永年のドイツ生活は、自分というものをしっかり持って、外にハッキリ主張することの大切さを教えてくれたから、と先生はよく仰っていた。
この時もそうだった。

先生の仰った『いい勉強』という言葉に、私は惹かれた。クラリネットが上達するなら、やってみたい。でも全然違う楽器なのに、何が『勉強』になるんだろう。
「『いい勉強になる』ってどういうことですか?」
興味津々で訊くと先生は、
「バスクラリネットは少ない息では吹けません。必然的に息を沢山吸うことが身につきます。本当はクラリネットもバスクラリネットを吹くくらいの息で吹かなければ、良い音は鳴りません。クラリネットは構造上、少ない息でも鳴ってしまいますが、良い音を求めるならそういう息を入れてやらないといけないんですよ」
と仰った。

先生の言葉に背中を押される形になって、私はバスクラリネットをやることに決めた。
初めて楽器を手にした日、先生は色々とアドバイスを下さった。
「クラリネットのアンブシュア(口の構え)は忘れて下さい。あたたかい息をたっぷり入れるように」
こんなに息が必要な楽器だとは思わず、最初のうちは眩暈がした。しかし必死で鳴らそうとするうち、いつの間にか私はたっぷり息を吸うことに慣れていき、次第に豊かな音で吹けるようになっていった。
そして普通のクラリネットを使ったレッスンの時も、息が足りなくなることが減ってきた。
「ほらね、息、沢山吸えるようになったでしょう?」
と先生からにこやかに言って頂けるようになったのは、バスクラリネットを初めて半年くらい経った頃だったと思う。

先生の『是非やってみなさい』という言葉がなかったら、私はバスクラリネットをやっていなかったかもしれない。
今はあまり吹く機会がないが、バスクラリネットを経験したことは、私にとって大きな糧になった。
素晴らしい師匠に出会えたことに、今もずっと感謝している。