指先の『チョコクリーム』
私の実家は児童公園の前にあった。
まだゲーム機やスマホと言った遊び道具?がない時代、晴れた日には子供の声が暗くなるまで聞こえていた。声だけで「あ!〇〇ちゃんが来てる!」と言って窓を開け、今から行くよー!と手を振ってすぐに向かう事が出来るのは有り難かった。
親もヒョイと覗けば子供の無事を確認出来るし、親子双方に好都合な立地であった。
しかし雨の日は、一転して静かになる。誰も来ない。日曜日などは特に退屈であった。
私の家の近所は、ある工場の工員の家族がとても沢山住んでいた。工員さんというのは夜勤がある。夜勤明けの工員さん、つまり多くの友達のお父さんは、よく昼間寝ている事があった。だからそういう友達の家には遊びに行く事は出来なかった。
家の中にいても、本を読む事ばかりもしていられない。健康な子供というのは、個人差はあるにせよ、身体を動かしたい生き物だと思う。
そんなわけで、私は時々雨の公園に足を運んだ。
ブランコやシーソーなどの遊具はベッタリ濡れているので乗ることは出来ない。第一、一人で乗ったって面白くもなんともない。
砂場だって砂はぐっしょり濡れているし、重くてトンネル作りには不向きだ。
じゃあ何をする為に公園に行くかというと、雨の日にしか出来ない『お楽しみ』がちゃんとあるからだ。
ブランコの下の地面は、みんなが足を擦るので、土が掘れてくぼんでいる。そこに水が溜まっている。
まずその水たまりから溝を掘って、水を外側に流すようにする。高低差を上手くつけないと、なかなか流れて行かない。友達がいればあっという間に掘れるだろうが、単身傘をさしつつ頑張るのはなかなか骨の折れる作業である。
それでも夢中になって掘り進むと、やがて少しずつ水が流れ出て水たまりの水が減っていき、しまいには『湖底』が姿を表す。
この『湖底』には濾過された?細かい土が、まるでケーキの表面に塗る『チョコクリーム』のように溜まっている。
この『チョコクリーム』が、子供時代の私には貴重な存在だったのだ。
指でそっと掬うと、本当のチョコクリームのように指の腹の上にこんもりと乗っかる。
勿論もう小学生だから食べたりしないし、水分が多いので所謂"芸術作品"には使えない。
つまり、この『チョコクリーム』は本当に何の役にも立たないシロモノである。
ただ、こうやって指で掬う快感を味わう為だけに、雨の降りしきる中、一生懸命溝を掘る。
単純というか、純粋というか、馬鹿というか。
あの頃から半世紀近く経つ。
未だに私は降りしきる雨の中、あの『チョコクリーム』を掬った時のたまらなくワクワクした気持ち、ついにやったぞ!という達成感がありありと思い出せる。
友達と一緒ではなかったけれど、とても大切な、楽しい思い出である。
雨の日に公園を通りかかると、あの『チョコクリーム』を思い出す。
年はとっても、心はいつまでも子供のままである。