夏の精神修養
夫が夏休みに入って四日目に入った。最終日は本当は今度の日曜日なのだが、関西の本家に墓参りに行く為、休息用にもう一日休みを取っているのだ。
今までも何度も書いてきているが、『夫の休みは家庭に於ける妻の仕事を自動的に増やす』というのが、昭和生まれの我々世代の多くの夫婦の鉄則だろう。
中には物分かりの良い、主夫的なことをするのを厭わない夫族も存在するのだろうが、少なくとも我が家は違う。
横のものを縦にしないし、縦のものを横にすることもしない。その癖、立派に口は出す。そのデリカシーのなさと言ったら、こちらの神経を逆撫でしまくる。しかしイチイチ反応していては、身が持たない。
普段はお互いに顔を合わせない時間を持つことで、こういった無用のトラブルは回避出来ている。だから夏休みは一触即発の、非常に危険な期間であると言える。適度な距離を保つよう努力していても、うっかりと近づきすぎる、スリリングな瞬間がどうしても出てきてしまう。
しかし、私はこの人の妻になって二十五年の大ベテランである。
まずは何があっても忍の一字。『落ち着け、奴に悪意はないんだ』と、吠えそうになる自分をなだめ、家の中の平和を保とうと努力する。
しかし敵は手強い。なんの修行かと思うくらい、様々な『神経逆撫で攻撃』を仕掛けてくるから油断ならない。
朝顔の蔓が伸びすぎている、と朝から愚痴る。じゃあ切って、と頼むと暇に任せて切ってくれるのは良いが、切った蔓を持ったまま
「これ、どこにやったらええねん?」
と家の中をウロウロする。
この朝顔には何故か、いつも沢山の蟻が群がっている。その残党が引っ付いているに違いない蔓をむき出しのまま家の中に持ち込まれると、否が応でも蟻が家の中に放たれることになるから、私は持ち込みを阻止しようと懸命になる。
「ありがとう!それ、外の花壇の脇にまとめて置いといて!燃えるゴミの日に捨てるから!」
と『笑顔で』言う。
本来なら
「ちょっと!蟻ついたもん、家の中に持ち込まんといて!」
と叫びたいところであるが、ぐっと我慢する。おんどれ、蟻の存在に気付かんのかい、とは思うが、老眼だから見えないのだろう、と思い直す。
物事は相手の立場に立って、客観的に考えるべし。何事も忍耐が肝要。
そう自分に言い聞かせる。
盆休みの初日、息子から
「財布を失くした!キャッシュカードと保険証が入ってた!」
と慌てて連絡があった。
仕送りの送金料をケチる為、我が家は私名義の口座のキャッシュカードを息子に持たせている。仕送り限定の口座で、他の用途に使うことはないから良いのだが、通帳は仕送りの入金の為に私が持っている為、カードがなければ息子は仕送りを引き出せない。
警察には届けた、というので私がキャッシュカードの出金を止める手続きをしていると、
「なんや、なんや!どこでなくしたんや!いつや!」
と夫は怒り心頭で手続き中の『私を』問い詰める。クソの役にも立っていない。ただうるさいだけである。
「いや、私失くしたんと違うし、知らんやん」
というと、
「アイツに訊けや」
と『命令』する。何様やねん。
訊いたところで見つかる訳でもあるまいに。私には感情に任せた、不毛な怒りにしか思えない。大体、気になるなら自分で息子に連絡をすればいい話である。
なので、
「自分で訊いたらええやん」
とやんわりと毒気を注入しつつ、大人し目に水を向けてみるとやや怯んだ様子で、
「お前が訊けや」
とむくれつつ、そっぽを向く。子供みたいである。呆れて怒る気にもなれない。
気にはなるが、面倒くさいらしい。変なオッサンである。
その後、財布はとても良い人に拾われたらしく、全て無事に息子の手に戻った。大感謝である。
面倒くさいから、夫には報告していない。言ったらどういう反応をするか、私には全部分かっている。だからもういい。
夫は墓参りの帰りに、関西のある山に登る予定をしている。これがまた、
「天気はどうかな、台風は来ないかな」
と毎日毎日、うるさい。
どんなに心配しても、なるようにしかならないではないか。気を揉むだけ損というものだ。人間の都合で天の差配まで左右できるなんてことはあり得ないというのに、遠足前の小学生のように天気予報を見ては一喜一憂している。
最早何を言う気にもなれず、黙って家事に勤しむことにしている。反応するだけ時間の無駄である。そんなことより家庭内の平穏を保つ為、こっちは内心必死である。
夫と顔を合わせる機会が増えるということは、私にとって様々な精神修養の機会が設けられる、ということである。
こういうのも平和の有難さ、なんだろう。