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なんとかしたい

先週の出来事である。
十時少し前頃だったと思う。一人の男性が白杖を突きながら、私のいるレジの前を通過していった。
三十代前半といったところか。かなり濃いサングラスをかけている。若いからか、結構早足だ。
店内では白杖を突いて買い物をしている方はあまり見かけない。お見掛けすることは稀にあるが、大抵付き添いの方が一緒である。
だからこんな風にたった一人でご来店されると、とても目立つ。つい目で追ってしまった。

凝視してしまった理由は他にもある。
私のいるレジは、正面入り口と従業員通用口の、丁度中間にある。私から見て左に進めば正面入り口、右に進めば従業員通用口である。だから殆どのお客様は左に、従業員は右に、移動していくことが多い。
なのに、このお客様はかなりの急ぎ足で、グングン右に進んで行くのである。どこに向かおうとしているのだろう?
何より気になったのは、彼が真直ぐに進んでいないことだった。
このまま行くと、彼の行く先には紳士靴の大きな棚がある。白杖を突いてはおられるが、心配になった私は思わずレジを離れて彼を追いかけた。
ずっと前に視覚障碍者訓練センターで見た、白杖を突きながら壁に激突する訓練生の様子が思い出されたのである。
彼の足は予想以上に速い。間に合うだろうか。ドキドキした。

「おはよう!どうしたの?」
そこへ丁度いい具合に、Mさんが出勤して来た。当然通用口から来たから、Mさんと私で彼を前後から挟むような形になった。
しかし説明している時間はない。私は大急ぎで彼を指差して、Mさんに身振りで危険を知らせた。
Mさんは瞬時に全てを察してくれた。
「お客様!何かお探しですか?よろしければご案内致しますよ」
Mさんにすぐそばから呼びかけられて、驚いた様子で彼はやっと歩みを止めた。
あと二、三歩踏み出していたら、棚に激突していたかも知れない。間に合ってよかった。
私は漸く胸を撫でおろして、Mさんに後を任せてレジに戻った。

暫く経つと、Mさんが彼と一緒に歩いてきた。彼は白杖は突かず、Mさんの片方の肩に手を乗せて、しずしずと歩いている。今度は落ち着いた歩き方だ。
「ちょっとご案内してきますね」
レジ前を通る時、Mさんはちょっと私の方を見てそう言うと、正面入り口の方に歩いていった。

「はあい、無事にご案内してきたよ!」
五分ほど後、Mさんはホッとした様子で戻ってきた。
「良かった、ありがとうございます!結局、何をお探しだったんですか?靴ではなかったんですか?」
私が訊くと、Mさんは
「マクドナル〇に行きたい、って仰ったの」
と言った。
「えっ、正反対の方向じゃないですか!早足だったから、確信を持って歩いておられるのかと思ってました」
予想外の答えに私が驚くと、Mさんは首を横に振って、
「ううん、この店初めてだったんだって。マクドナル〇があることは知っていて、行きたいと思ったんだけど場所が分からなかったみたい。適当に壁の方に歩いてたら行けるかな、と思った、って。ぶつからなくて良かったけど、視覚障碍のある方には、確かに商品やお店の場所は分かりづらいかも知れないね」
と腕組みをした。

見えている状態が当たり前の人間でも、商品や店を探してウロウロすることはある。初めての店舗なら尚更だ。
見えないならもっと困るだろう。
ウチの店は建物に入る自動ドアの直前まで、点字ブロックがある。しかし入ってしまえば何もない。
視覚障害のある方が来店されることを想定しているにもかかわらず、店に入ってしまえば何も道標になるものはない、というのは如何なものか、とちょっと考え込んでしまった。
かなり古い店舗だから、ということも一因だろうが、それにしても健常者寄り過ぎのような気がする。
これはしょうがないこと、なんだろうか。

「マクドナル〇でも、注文とかどうするんだろう?従業員に引き継いできたけど、点字メニューなんてあるのかな?一つずつ説明するのかな?それともメニューは決めてきてるのかなあ?」
Mさんはフーっとため息をついて、
「大変だよね。いちいち人の手を煩わすの、嫌だろうなあ。こっちは全然構わないんだけど、きっと遠慮なさる時もあるよね」
としみじみした調子で言った。
「これだけ世の中進んできたんだから、なんとか出来ないですかねえ、ウチの店も。もうちょっとなんとかならんかなあ」
私もため息をつくと、天井を見上げた。
「視覚障碍があったって、我々と同じようにお買い物とか、お食事とか、楽しめるのがホントだと思うけどね」
Mさんの言葉に、唸るしか出来なかった。

彼はちゃんと食事出来たろうか。
いつか、彼がもっと安心して、気軽に来ることの出来る店になると良い。
何か私も出来ることはないだろうか。
ぶつかりそうだった彼の姿が、今も私の頭の片隅からずっと離れない。