信じて、任せて、見守って
先日、母からこんな連絡をもらった。
『お父さんが○○ちゃん(息子の名)の就職はまだ決まらないのか、と言ってイライラして私にあたってきます。まるで認知症のようです。良い報告をお待ちしています』
文面を読んで、相変わらずだなあと苦笑いした。
大学四年生の八月を過ぎて就職先を決めていないのは、世間的には確かにおかしいのかも知れない。心配もするもの、なんだろう。
それにしても、母の言葉にはツッコミどころがいくつかある。
先ず主語を『お父さんが』としていること。
自分ではなく、『父が』言っている、と言うことで、『私は違うのよ』と暗に主張し、私から反撃されることを予防している。
卑怯なんだよねえ。本当は自分も同意見に違いないのに。
いや、ひょっとしたら父はそんなこと言っていないのかも知れない、とも思う。たまたま一回くらい、不機嫌になったついでに『アイツの就職はどうなってるんや』とブツクサ言った、くらいのもんじゃないだろうか。
『私にあたってきます』にもご注目、である。
母の言いたいのは『アンタがしっかり息子の尻を叩かないから、私がお父さんに虐められるのよ』ということである。
父を悪者にし、自分を被害者にすることで、『可哀想な自分』を演出する。どこまで行っても自分は悪くないように出来ている。感心するくらい、上手にトコトン逃げている、つもりでいる。
怖いのは、母がこれら全てを計算せずに、『本能』の赴くままにやっていることだ。
父はこんな風に母に言われていることを、全く知らないに違いない。
『まるで認知症』にも苦笑する。
『私達は年老いている、弱い存在なんですよ』と告げんばかりである。そういう母こそ大丈夫かな、と思ってしまう。
そして隙あらば娘(私)に縋りついて依存したい、という意思が見え隠れする。
父も良い歳だから、そういうこともあるのかも知れない。しかしつい先日も私は父とメールでやり取りしている。その時も変なことはなかった。
抜けてるなあ、とおかしくなってしまう。
私は五十を過ぎてから一度、徹底的に母と決別している。
その時母には心の内を洗いざらい話し、『もうアンタのコントロール下にはいかない』旨を宣言した。
その後、色々と悩み苦しむことはあったが、今はこんな風に冷静に見つめて観察できている。最早なんの感情も湧かない。
だから『ああお母さんは以前のように、自分を私に丸投げして振り回したいのだな』と分かる。そして自分はもうそうはならないよ、と思っている。
何を考えとんねん、という苛立ちや、アホやなあ、という侮蔑の感情は抜きである。可哀想、とも思わない。
ただ、そんな母を眺めている。
残念ながら母は、自分が自分である努力を全くしていないようだ。年齢的にもう無理なのかもしれない、とも思う。
以前、私がはっきり『テリトリーに入り込まないで』と主張したから、それはしっかり覚えている。そして『私はあなたのテリトリーには入らないよ。でも、お父さんが入ってしまうの』と言っておけば、自分と娘との間に波風が立つことはなく、責められることはない、と思っているんだろう。
父に対する愛情とか、思いやりとか、理解とか、夫婦であることの自覚とか、そういうものが微塵も感じられないのは残念ではあるが、これが母の現状なのだからしょうがない。
来月には半年ぶりに実家に帰省しようと思っている。
その際、このことについて言及するつもりでいる。
息子を心配してくれていることと、おかげさまでここまで無事に成長したことに対する感謝を先ず、述べる。
そして『信じて、任せて、見守る』ことをしている私達夫婦を『信じて、任せて、見守る』ようにして欲しい、と告げる。
シンプルに、それだけで良いと思う。母には難しいことなんだろうけど。
説得とか、説明とか、そういうものは相手にそれを受け容れる技量がある時のみ、有効である。
父は恐らく理解しようとしてくれるだろうが、母は分からないだろう。
だからもう良い。
今は穏やかな気持ちで、
『お母さん、もう放っておいてね。自分を生きてね』
と思うのみ、である。
そしてこういう心境に至れたことに、ただ感謝している。