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「気持ちを認める」ことで4年以上苦しんだ希死念慮が消えた話(適応障害)

こんにちは

今回は、私が希死念慮で本当に苦しみ続けた4年間で見つけた、効果があった方法第一位を紹介しようと思います。

私の診断は適応障害です。
うつ病と症状は似ていると思いますが、専門家ではないのであくまで私のやり方です。

それは「気持ちを認めること」
(よく聞く言葉では”自己受容”というものに該当します)

「気持ちを認める」とは、行動や結果ではなく「思考の過程」を注目して見てあげることです。

この記事では、「気持ちを認める」具体的な方法や、なぜ希死念慮に消えるのか、等を解説していきます。


・行動や結果ではなく「思考」を見てあげる

冒頭でも説明した通りですが、大切なのは「思考」を見てあげることです。いきなり言われても分かりにくいと思うので、早速例を出してみましょう。

①昼から掃除をしようと思ったが、昼寝をしてしまい夜になった

[自分で決めた掃除をする約束を守れない、なんて自分は意志が弱いんだ…]
このように自責する必要はありません、評価ポイントは「掃除をしようと思った貴方は偉い」です。

②出勤しようとしたが吐き気で動けず、無断欠勤をしてしまった

[仕事に行きたくなさ過ぎてベットから出られない…休みの連絡を入れるのも怖くて、携帯の電源を切って逃げてしまった]
自分へ掛ける言葉は「出勤して皆の為に頑張ろうと思ったんだよね、それは素晴らしいことだよ」です。

③テストで90点を取った

90点取った(結果)から偉いのではなく、勉強した(行動)から偉いのでもなく、「勉強しようと思った」から貴方は偉いのである。
※これは子どもの相手をする時にも使えます

④旅行に行ったが、あの人へのお土産を買い忘れた

[買おうとする意志はあったが、実際には買っていない]
その気持ちを持てた自分は素晴らしいのであり、何か言われてもこの気持ちは尊重されるべきである。

⑤好きな人に告白しようと頑張ったが、勇気が無く言えなかった

人を好きになれたことは素敵なこと、その想いだけで価値がある。伝えなかったとしても、人を好きになった時点で私は勝負に勝ってる。

こんな感じです。

私は初めにこの事を知った時、不思議な感覚になりました。

今まで行動しない自分を責めたり、
結果が出ない自分を罵倒したりしてきましたが、
願うだけで褒められるの…?と。

なぜ、気持ちを認めるだけでいいのか。
それは人間に本能的に備わっている「承認欲求」の話が絡んできます。

・人は誰しも自分を認めてくれと心の中で叫んでいる生き物

承認欲求は生への実感

※これは持論です

自分はこの世に存在してもいいのか?
希死念慮を抱えた人ならそう思ったことがあるはずです。

ある日突然、訳もなく生を与えられ、しかもそれには必ず終わりがあるという。
「バットエンドが確定しているゲームを、希望を持ってやれる訳ないだろう」と私は怒っていました。

何か使命が欲しい…こんな理不尽なゲームでも何か目的があれば…
生きられるかもしれない。

自分には生きる意味が欲しい。
人間が持つ気持ちの部分を否定された時、ただ生命活動をするだけの生物と何も変わらない。

でも、そんなどうしようもないゲームの中でも、
「こんな事があった」「こんな発見をした」と他人に話し、それが認められた時、嬉しさを感じます。

私の生きた証は無駄じゃないし後世に伝わり永遠に残る。
この人生にも意味があったし生きてて良かった、と思うのではないでしょうか。

使命に該当するものは「気持ち」なのではないかと。
私が、考えたり感じたりしていることは、今この地球に存在していると実感できます。

少しポエムになってしまいましたが、
誰かに認められるというのは、存在を肯定されることだと思います。

人は自分の話をする時ドーパミンが出る

自分の話をする時って気持ち良いと思いませんか?

相手はただ相槌を打っているだけなのに、どんどん喋ってしまって…なんかスッキリした経験あると思います。

「そうだね」「それは大変だね」「そうなんだ」「そう思ったんだね」と言いながら聴いてくれる人って、隣にいるとつい話してしまいますよね。

自分も相手に同じことができますね。
相手の気持ちを認めて頷くと、それだけで相手は喜ぶはずです。

最もダメなのは…
相手が話している最中に自分の話を割り込むことです。

どうなるかは明白、喋りたいのに会話の主導権を取られて気分を害するでしょう。

喋りたい欲を持ってる人が隣に来たら、好きなだけ喋らせてあげると良いでしょう。

気持ちを認められなかった妹

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