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noteを続ける上で大切な、承認欲求との付き合い方のこと。

渾身の1本を書いたのに、伸びない。有料記事を出したのに、購入してもらえない。伸びないから、note運用に関する有料noteを買って、知見を得て実践する。なのに伸びないという無限ループ。

そんな状態の方、いませんか?

そうです、私です。

「別に必要な人に届けばいいし」「趣味の延長線で書いただけだし」「noteで生活したいわけではないし」と言い訳しつつも、数字を見るとやっぱり悲しくて。楽しくはじめたはずのnoteが、いつの間にか成果を気にするばかりになって。伸びている人たちを見て、落ち込んで。

記事では、「noteはストック型のコンテンツだから、将来効くんだよ」なんていいながら、めちゃくちゃ初動、気にしてました。購入通知が来ないことに、落ち込んでいる自分がいました。

そんなよわよわマインドの私が、自分を立ち直らせるために、自分に言い聞かせるために、そして今もなお強欲にも、同じ苦しみをもつたった一人のあなたを救うために、書きます。

私がnoteをする目的、なんだったっけ?

noteで食っていくため?違うよね。

私がnoteをしているのは、フリーランスの仕事に生かすため。そして書かずにはいられないからだ。

前者は言葉の通り。私がnoteを推す最大の理由。noteを書いていたおかげで、なんの実績も見せられなかった駆け出しフリーランスが仕事を得ることができた。今もギルドメンバーと出会わせてくれるなど、仕事において最高の働きをしてくれている。

そして後者。特に出産して、日常が非日常になってから顕著になった。どうしようもなく吐き出したいけれど、聞いてくれる人がいない。この驚きや感動、絶望をもっと多くの人に知ってほしい。そんな気持ちを、書くことが私を落ち着かせてくれた。ストレス発散の方法だった。

後者についても、私はどこかで読者を求めていた。というか、書くことでお金をもらうようになってから、読者を完全に無視して自分のためだけに書くことができなくなったのだと思う。多くの人に届いてほしいし、やっぱりスキの数は気になった。でも当時は、10個くらいついたら喜べていたし、伸びずに悲しむことはなかった。

私はなぜ今、こんなにも苦しんでいるんだろう?


noteで生計を立てたいわけではなかったのに

たぶん、そう。有料記事だ。有料コンテンツを販売して成功している人たちを見て、noteの人気が上がってから、変わった。私もライターとして、noteで稼げるような人間になりたい。いや、noteの記事を書く仕事をする以上、バズる人間にならねばならない。義務感で言い訳しながら、承認欲求がグイグイと顔を出すようになった。

今までだって間違いなく、noteは私の売上につながっていた。別にバズってはないけれど、私の大事な営業資料。取引先にもnoteが理由でお願いしたいと言われたこともある。noteがきっかけで絡んてくれる人もいた。

とはいえ、noteの費用対効果が具体的に見えるわけではなくて。だから、「noteは長期的に効く」と構えることができた。実際、そうだったから。

しかし、noteを伸ばすと考えるようになった瞬間、数字は重々しくのしかかる。伸ばしたい記事が、読まれていない。頑張って書いたのに、バズらせたいのに。

特に有料記事。こいつは悪魔だ。自分の中で、「これはニッチな記事だから」「ぶっちゃけた内容すぎるから有料記事にしただけだから」と言い訳を並べても、数字は目の前に立ちはだかる。気にしないようにしても、見えてしまう。

言い訳の聞かない1本を出したとき、自分の承認欲求が爆発した。自分が一ヶ月以上かけて、学びながら準備した渾身の1本。ブランディングライターとして、絶対に価値のある内容だと書いた1本。傷つきたくなくて、売れることよりも記事を知ってほしいと、有料部分はおまけのみにした。でも、スキも閲覧数も、伸びなかった。

正月という時期が悪かった。本当に必要な層にリーチできていない。いろんな理由がでてくる。それらはこれからに必要な分析だ。だが私は、分析をして生かさなければという思いよりも、「伸びなくて悲しい」と思ってしまった。

これは、まずい。

noteは苦しんでまで続けるものじゃない

ストレス発散のために書いて、しかも読者がいることに魅力を感じていたはずのnoteが、読者の動向を気にして、いつのまにか苦しいものになっている。これは、よくない。

仕事のためにnoteを運用するならば、私は冷静に数字を見て反省すべきだし、ストレス発散を優先するなら数字は意識してはいけない。ただ書いて出すことだけに集中すべき。

どっちつかずの心だからこそ、苦しくなっている。私はどっちを選ぶべきか。


やっぱりどっちも選びたい

う〜ん。しばらく考えたけど。どっちも切れそうにない。

だってnoteは、これからの仕事の武器。そしてこれまでの林春花が詰まった相棒。この蓄積を捨てられるわけがない。仕事に活用しない道は考えられない。

そうすると、甘えを捨てて、積極的に運用する道なのだけど。それもまた、しっくりこない。だってさ、noteって心の内面を出し合うのが魅力じゃん?でも私みたいな弱小noterは、そんなゆるいことを言ってても伸びないわけで。ガチガチに運用した先に待ち受けているかもしれないけれど、そこにいるのは脱ぎ捨てられないほど重たい鎧を着た自分。心のすべてを吐き出せるような場ではなくなっているかもしれない。

それって私、幸せかな?

ブランディングライターとして

そもそも。私がnoteの運用を本格的にはじめた理由は、これからの仕事のためだ。育児中は予想外のトラブルも多くて、企業のクライアントに迷惑をかけるのは私の精神的にも辛いし、仕事量を増やしづらい。だから、小回りがきくようになるべく小さな所帯、SNS集客で悩んでいるひとり経営者やフリーランスのゼロイチの発信を助ける方向性へと、リブランディングした。そのために、noteを伸ばす方法も知らなければいけないから、0歳児育児中で仕事ができないけれどスキマ時間も多い今だからこそ、noteに真剣に取り組んでみようと考えた。

だけど。私が想定しているペルソナは、有料記事は販売しない。SNSで集客し、成約率を高めるために、ストック型のコンテンツとしてnoteを活用する。その人たちにとってnoteは、「ちょっと気になる」状態から、コアなファンをつくるための場だ。

あれ、そう考えたら私、もうできているんじゃないの?

私が書いた婚活に関する有料記事、購入していただいた2人は、私が知る限り既婚者。どちらも、過去に交流のある方だ。2人は、私が提供する情報を求めて購入してくれたわけではない。自惚れかもしれないけれどさ、たぶん、私のファンだから、買ってくれたんだ。

そうか、私はすでに、noteでファンを作れていた。そう考えて今までのnoteのスキを見ると、リピーターさんがたくさんいる。私が記事を更新すると、来て読んでくれる人がいる。なんて嬉しいことか。

そんなファンがいるって、すでにブランディングライターとして、誇れる姿になれているのではないのか?

数字ではなく、見るべきは目の前の読者だったんだ。

noteのブランディングは裸になること

ブランディングライターとして、どうブランディングすべきか、自らも試したし、noteもたくさん読んできたけど。

もしかしたら、私がブランディングライターとして支援することは、noteで裸にさせることなのかもしれない。

肩肘張って、自分をよく見せて、売れるように、鎧を着るんじゃなくて。弱さも虚勢も、ありのまま見せる。もちろん、ときにはビジネスモードで真剣に語るのもいい。それも間違いなく、その人の一面だから。全方位、ありのままの自分をさらけ出して、強い自分も弱い自分もまとめて、ファンになってもらう。そんな、リアルなブランディング。本物の魅力で認めてもらうための支援。

それができたら、私も、クライアントも、楽しくnoteができる気がする。

これからのnoteの付き合い方


さて、これからどうやってnoteと向き合っていこうか。ストレスを感じず、楽しめるだろうか。

とりあえず、私のクライアント想定の方以外に対して有料コンテンツを出すのはやめておこうかな。そうすれば、noteの売上を気にするのは辞められそう。

わたしが気にすべきは、どれだけファンを獲得できているか。フォローとかスキって、自分のアカウントを伸ばすために記事を読まずにしている人もいる。そんな見かけの数字を気にしたって意味がない。本当に私のファンになってくれている人がどれだけいるか、それを気にする。そして、喜ぶ。一人でも読んでくれている人がいることに、感謝する。それを励みに、また書く。

承認欲求は、なくせないや。だって、人間だし。強がることはできるけれど、それは真実の私じゃない。

そもそも承認欲求は、悪いものじゃない。承認欲求があるから、世の中にはたくさんの創作が生まれるともいえるはず。たぶん、明治の文豪とかみんなこじらせてる(偏見)

でも、諸刃の剣。承認欲求はときに、創作をやめたい、死にたいという気持ちにさせる。認められない苦しさから。

私は、やめたくない。だから承認欲求に駆られる醜い私をもコンテンツに発信する。そして小さな承認も喜ぶ。はじめてnoteでスキをもらったあの頃みたいに。

それが、いい。だって、承認欲求もあるけれど、私が私のために書いているのも事実だから。揺らぎながらも、書いていけば。生きていけば。



こんなことをいいながらも、この記事バズってほしいと心の何処かで思ってしまう私ですが。ま、がんばって書いたんだから仕方ないよね。


でも、本当に書くってすごいや。どう完結させるかまったく考えずにこのモヤモヤなんとかせねばと書き始めたのに、スッキリしてる。書きながら脳内が整理される感覚。これが本当に、好き。私は書くことが好き。書くことなしに、生きられない。書いて、生きていきたい。

こういうさ、論理的にグダグダになって着地点が迷子になるのも、noteの醍醐味だよね。仕事だったら編集してまるっと切るけど、私のnoteだからしません。

さて、今度は何を書こうかな。








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林春花|ライター
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