お地蔵さんと閻魔さまが同一人物!?閻魔大王と地蔵菩薩の関係とは?🌈
地獄の主のイメージが強い『閻魔(えんま)大王』。
実際は、地獄と天国(浄土)の間にいて、死後の行き先を決める裁判官の一人です。
閻魔大王は、もともとヒンドゥー教の神様で、死後の世界の王様(『地獄行き』『極楽行き』それぞれのパスポート発行者)。
閻魔大王が恐ろしい顔をしているのは、死者が再び罪を犯さないようにするためです。
これらの事から、別名『地獄の裁判官』と呼ばれています。
亡くなった後、地獄へ行った人は、閻魔大王を含む10人の王が立つ法廷で裁かれ、そこで生前の行いを審査(裁判)されます。
死者の審理は、通常7回。
7日ごとに以下の順番で、各王が一回ずつ審理を担当します。
・秦広王(初七日)
・初江王(十四日)
・宋帝王(二十一日)
・五官王(二十八日)
・閻魔王(三十五日)
・変成王(四十二日)
・泰山王(四十九日)
閻魔大王が審理を担当するのは、5番目。
目の前に置かれた鏡には、亡くなった人の生涯が映し出されると言われており、彼の審理後に判決結果が変わることはないとされています。
昔は、親が子どもに、
「嘘をついたら閻魔様に舌を抜かれる」
このように教育をしていました。
閻魔大王の服装が中国風なのは、仏教が中国を経由するとき、道教(中国の宗教)の影響を受けたため。
ヒンドゥー教から始まり、仏教が中国へ渡った後、日本では、平安末期に仏教由来の『末法思想』や『冥界思想』が広く浸透しました。
その過程で、インドで死者の主とされていた『ヤマ』が仏教に伝わり、その思想に影響を受けた日本では、ヤマの意訳『閻魔大王』が恐怖の神として広まるようになりました。
これは、日本の『神仏習合(しんぶつしゅうごう)』によるもの。
ヤマの起源は古く、インドとイランが分裂する前の時代に、死の道を最初に発見した神で、祖霊(先祖の霊)の世界の王。
祖霊の世界は、「楽園である」とされています。
神仏習合は、明治時代より前の日本の姿。
当時、「閻魔大王とお地蔵さんが同一の存在である」とされていました。
お地蔵さんは、地蔵菩薩のこと。
約2500年前に亡くなった仏教の開祖『釈迦(しゃか)』の代わりに戻って来たのが、地蔵菩薩。
「表の姿は優しいお顔のお地蔵さん、裏の姿は怖い閻魔様」
このように言われ、信じられていたんです。
明治以降、大日本帝国憲法下になると、神仏習合という考え方はふさわしくないとされ、『神仏分離』という考え方に変わっていきました。
これにより、ほとんどのものは分離されましたが、思想までは分けられることはなく、閻魔大王は、子どもたちへの教育目的などと称して昔話などに登場し、死後の世界観を彩る存在となったんです。
あの怖い顔の閻魔様に地獄へ落とされると思うと、子どもたちは恐怖で悪さが出来なくなるのかもしれませんね😌
最後まで読んでいただきありがとうございました🌈