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徒然日記2020.10.08

今日は朝は遅めに起きて、1時間ほど在宅ワークをした。出発してから近くのコンビニで朝食タイム。今日は大好きな鯖のおにぎりとホットカフェラテだった。ちょっと肌寒くなってきて、ホットコーヒーなどが似合う季節になってきた。移動中はいつもの同僚と雑談&近況報告などをして過ごす。昼の時間はzoom会議だった。さまざまな障壁を乗り越えてやっと仕事が上手く進みそうで、とりあえず安堵のできた会議だった。会議の後は少し遅い昼食タイムで移動しながらのマクドナルドだった。今日は大好きな期間限定チーズ月見バーガーセットを食す。これまた旨し!取引先を何件か訪問した後、支店によって上司と1時間半ほど面談。しっかりと絞られたあとは移動してまた取引先を訪問して帰宅となった。夕食は焼鮭とニラ玉炒めにサラダとご飯だった。美味しくノンアルコールビールといただいた。最近体重が良い感じに減っていて、すべて妻の管理のおかげだ。一番はノンアルコールビールを飲むことが多くなったことが大きい。寝かしつけタイムは家族みんなでそろってやった。上の子がパパとママに挟まれて寝たいとのことで、実際に挟んでギュッとしてあげると嬉しそうだった。幸せはこんなときにも感じられる。家族とはいいものだ。

さて今日の一考であるが、中沢新一、中沢先生による河合隼雄レクイエムだ。中沢新一著『虎山に入る』(KADOKAWA)から一部引用させてもらいたい。私の心の師であるお二人の関係性が垣間見える。

 河合先生は、私にとって、かけがえのない恩人であった。十数年前に私が自身の軽率な言動によって、社会的に大変な苦境に立たされ、それまで友人と思っていた多くの人たちがまわりから去っていってしまったとき、河合先生が不意に電話をよこされて、余計なことはなにもおっしゃらずに、「いっしょに仏教について話をして、本をつくってみませんか」と、救いの手を差し伸べてくださったのである。
 そのとき私はなによりも、河合先生の豪胆さに打たれた。なにごとについても慎重な方で、「君のように、なんでも正直に思うたことを口にしていたら、そのうち十字架にかけられてしまいまっせ。わしは本心なんか、そうそう簡単に口にしません。黙っといて相手の本陣に入り込んで準備を進めて、ここぞと思うときまで、じっと待つんですわ。それまでは、人からどんなに誤解されたってかまわんのです。そういう人たちは、じつはものが見えとらんのですから」と、よく私を諭された。しかしその反面、いざというときには、たとえ世界中が反対しても、自らの信念を貫き通してみせる、信じられないほど強い心の持ち主であった。

中沢 新一. 虎山に入る (Japanese Edition) (Kindle の位置No.421-431). Kindle 版.

思ったことをすぐ口にするタイプだった私はもちろん痛い目にもあってきた。河合先生のお言葉に奥深さを感じると同時に、心がつよくないと黙るということは出来ないということがわかってくる。河合先生はカウンセリングの時、クライアントが話しておられるのをジッと聞いておられるが、ここぞという時にしか話されない。人の話を聞いているとき、訓練されていないとすぐに相手に言い返してしまう。相手に反応せずにじっくりと深いレベルで聞くというのは、相当な訓練が必要なのだ。河合先生は、人の話を深いレベルで聞いて相手の心の奥深くに布置されているものをじっくりと感じ、ここぞ!という時に相手の深いところに切り込む。中沢先生に伝えたかった河合先生の極意というのを垣間見える話ではなかろうか?お二人の深い関係性に心の琴線が触れる気がする。

今日も一日が終わった。なんてことのない一日だった。問題が解決しないときに、どうしても解決を急いでしまう。そんなとき河合先生みたいにグッとこらえて、問題の根本にあるものはなにか?と思いを巡らせて、問題を寝かせておく。そうすると自然と答えが出てくるときが来る。このここぞという時、偶然に見つかる解決の時というのが必ずある。深いレベルには、共時性(シンクロニシティ)、レンマ的知性が働いている。+Mさんの今日の日記にとても素晴らし言葉があったのでそれを引用して日記をおわる。

「啐啄同時」という言葉がある。雛が内側から殻を突くのと、母鳥が外から殻をつつくのが同時に起こることを言う。そうした好機を得て初めて、雛はこの世に産まれることができる。
何かが成されるには、機が熟していなければならない。言葉も人も、出逢うべきときに出逢って初めて、固有の意味を産む。


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