徒然日記2020.08.29
今日は午前中はほぼ寝ていた、昨日の読書のこともあるが、十二分に休息できた。起きてから妻の昼食は手作りのナポリタン、妻は初めて作ったのとのことだったが、めちゃくちゃ旨い!上の子も大喜びでまた作って!!とはしゃいでいる。私は、卵も半熟でかけてもらって、タバスコと粉チーズをたっぷりとかけていただく。最高の昼食だった。元気がでたので、片付けをスタート。妻と上の子は買い物へと出かけていった。下の子は眠そうで、一緒に1時間半ほど昼寝をした。私は十二分に休息した上にさらに昼寝までして、充電マックスとなった。さて、片付けタイムだ。1週間の散らかりを一つずつ片付けていく、下の子は「シンカリオン」を見せながらテキパキと片付けた。
妻たちが帰ってきたら、あまりにも部屋が片付いているので、とても喜んでもらえた。片付けは禅の効果もあり、心が幾分かスッキリとした。夕方の時間も元気で、洗濯物の片付けなどもしながら、妻は夕食を作った。今日は私のリクエストの豚の挽肉丼に焼きなすを添えたスペシャル丼。そしてコーンいっぱいの和風サラダ。それにスープもついてきた。妻はとても料理が上達していて、感心している。とても美味しい夕食タイムでした。
その後は、怒濤のお風呂タイムだが、私は風呂上がりにそそくさと段ボールを捨てに出て行った。帰宅後も子どもたちは起きていて、私が妻と交代して寝かしつけタイム。私の神がかった(!?)寝かしつけ技術により、30分ほどで二人とも寝かしつけることに成功した。
その後は、妻はiPadでお絵かきタイム、私は読書タイムとなった。今日も『アースダイバー』(講談社)にハマっている。気になる部分を引用しよう。
江戸の人たちは、グループを組んで、この富士山に出かけていった。人穴に潜り込んで、もういちど母胎に戻って、生まれ変わりを体験しようとしたのである。人々は死に装束に身をかためて、聖なる山に入っていった。数日かけたこの旅をつうじて、古い自分が死んで、六根が浄められ、真新しい自分に生まれ変わって山を下りてくる。死と再生のドラマチックな旅をおこなうのに、大都市江戸の人々にとって、富士山はまさにうってつけの山だったのだ。
ところが東京タワーは、縄文時代以来の死霊の王国のあった、その場所に建てられたのである。おびただしい人命を奪った東京空襲の傷跡もなまなましく、そこは荒涼とした空き地と化していて、まさに野ざらしになった死霊の王国跡だった。その土に穴を掘って土台を固め、死者たちに支えられるようにして、東京タワーは天に向かって立ち上がるのだ。しかも、鉄塔の重要な構成部分にしめているのは、たくさんの人の命を呑み込んだ戦争の現場から持ち帰られた戦車をつぶした鉄材である。ここはすでに、エッフェル塔にはない東京タワーだけがもつ奇妙な性質が、よくあらわれている。
東京という都市には、どうやらタナトス(死の衝動)がひそんでいるらしい。
しかも、それは最近にはじまった話ではないらしいのである。江戸の頃、ここには火事や地震が多発していた。そのたびに家は倒壊し、あれよあれよという間に、火は町並みを呑みつくしていった。地震がおこると、そのあとにすぐに「鯰絵」というのが、売り出された。地震をおこした張本人として、大地の下にひそむ巨大鯰の怪物が、クローズアップされている漫画チックな木版画である。
モスラは東京に上陸した最初の頃から、東京タワーの存在にいたく心を引かれている様子だった。その理由がいまやあきらかとなった。この巨大な蛾の幼虫は、こともあろうに東京タワーに意図をはきかけて、繭をつくり、その繭のなかから美しい羽根をもつ巨大な蛾となって、空高く飛び立ったのだ。
なんとみごとな神話的想像力ではないだろうか。東京タワーそのものが、死のなかに復活の萌芽をふくんだタナトスの鉄塔なのである。その塔は死霊の王国に深々と足を下ろして、幽明定かならぬ天空に向かって立ち上がる、「日本の橋」であった。
生命は死に触れているからこそ豊かなのである。死との触れあいを失った生命は、もはや別の意味での死を生きることになる。宗教というのは、生と死が別々のものではなく、ふたつが一体となって、この世の豊かな現実はつくられている、と教えてきた。
中沢新一の本は心を豊かな気持ちにさせてくれる。そして「東京タワー」というものの魔力を幾分か理解する手立てを与えてくれたようだ。鉄塔の部材は、朝鮮戦争で使われた戦車の鉄を溶かしてつくったようである。その土地も死者の眠る土地にそびえ立っている。すごく感じるものがあった。
いまの現実は「生」だけを見て生きているようだが、その人たちは生きながら死んだ目をしている。生と死の二つが一体となって、豊かに生きることができる。これは真実だと思う。最近、仕事の関係とはいえ、大切な方を亡くした人と接することが多い。彼らにぜひ伝えたい、「死」というものが身近にあることによって、はじめて本当の意味での「生」があるのだと。そのような時、人は生き方を見直すチャンスを与えられている。
さて今日は元気な一日だった。私は気圧にも影響しやすく、体調が良い日が少ないのだが、今日は素晴らしい一日だった。こんな日もある。今日の豊潤な学びの一日に感謝して、日記をおわる。
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