【序「先生、バスケのできなかった検体が何か呟いてます」】独り言多めの映画感想文(井上雄彦さん『THE FIRST SLAMDUNK』)
きっちり切り取った断片ではなく、そのつなぎにこそ見える個性や人柄。
作画、動画としてのクオリティの高さに加え、山王の、どこか不気味な一体型の応援や、リョータ覚醒時の挿入歌など、音としても非常に高いシンクロ率で、「なんか違う」という期待値との落差はほとんど見られなかった。
最初に三井がリョータに「1on1やろうぜ」と言った時の、最初は誰か分からなかったけど、にっと笑って初めて「あ、ミッチーだ」と分かったあの感覚は意図して仕掛けたのだろうか。表情で一致させる。だとしたらすごい手法だ。
あと桜木とリョータの先制攻撃のサインや、桜木とリョータと三井が3人でガッツポーズして相手煽るの、イチイチアップにしないで引きで見せるの、リアルこんな感じだったんだろうなって笑えた。リョータとゴリの、ハイタッチの代わりに指差し合うのはすごく粋だった。
河田は河田だった。ゴリは思ったよりキレイなゴリだった。流川は思ったよりなよっとしていて、アネゴは相変わらず美人だった。
何より最後のハイタッチを見るためだけでも観る価値はあると思えた。
私がまだ小学校低学年だった頃に読んだSLAM DUNK。まさか今になって動画になると思わなかった。改めて原作を読み直してみて気づくこと。これは、原作ファンに限らず、バスケ好きのためにこそ作られた作品にも思える。
高い天井。
1on1開始時、床に両の指先をつけるディフェンス。
フリースロー時、ゴール下で繰り広げられる手の攻防。
ポイントガードから見える景色。
速攻の躍動感。追うディフェンス。
ゴール下の接触。身体を張ったやりとり。どれも経験者ならではの「あるある」だった。
感じたのは競技への想い。だからこそ「熱くなれない、なれるものがない」者の抱える憤りは凄まじい。正面から罵ってみたり、時に暴力に訴えたり、エネルギーの発散の仕方のわからない高校生は本当に危なっかしく、同時に切ない。
「好きになること」ただその贅沢を思う。
SLAMDUNK世代が大人になって、改めてこの作品と向き合うことで、また熱くなりたいと思う人もきっと多い。一つの「バスケットボールを題材にした漫画」をきっかけに、別のところで大きな花が咲く。その功績は、だからこの競技の範疇に収まらない。
豊かになる。その根っこにあるもの。これはただスポーツを題材にした作品じゃない。
他にも通じる真理。その一つのサンプルとして話を始めようと思う。
次回以降、漫画本編の情報と並行して話を進めていく。全5本。よろしければお付き合いいただきたい。
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