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『レジェンド&バタフライ』は夫婦を描いた物語だった、序(独り言多めの映画感想文)
人類における最も大きい差異。男女。
「差別」というのは「差で分け、別ものとする」意か。ただ分けるだけなら区分、「分」という字を当てる。そう考えると「別」の一字が問題とされるアレコレを引き起こしている可能性が高い。
そもそも差別というのは誰の目にも見えるものではなく、むしろ見たいものしか見えないことの方が圧倒的に多い。京極夏彦さんが「妖怪」を例に、「自分が『見えない』という多数派に属しているからと言って『見える』人を変人扱いすること」に異を唱えたこと、朝井リョウさんが「異性ではなく、別のモノ、コトに性的興奮を覚えることを(例えば小児愛者に対しては小児の行動を制限することで取り締まれるものを)取り締まる対象にさえならない程のマイノリティが抱える孤独」を取り上げたこと。悪いことだと言う人こそ見えていない。
昔付き合っていた人が事故で片足を失っていて、実際に「障がい者」になった時、精神疾患の障害を持つ子と一緒に括られることを拒んだ。そうしてそう思う心自体を恥じていた。
あるいは当事者にしか分からないことがある。ここで大事なのは「当事者しか分からないことがある」と理解して、無駄口を慎むこと。言われてみれば被差別者は別の場所で差別者に回っていることに無自覚と言う可能性は大いに有り得る。さて。
人類における最も大きい差異。男女。
陽と陰、太陽と月、そうしてそれが伝説と蝶々だろうと変わらない。決まって対に挙げられる。だから時に張り合い、目を逸らし、まともに正面から向き合えない。幼いと互いの違いを受け入れられない。しかしそうは言っても所詮葦。どんぐりが背比べしたところで、ほいとリスの前に投げられたら皆同じ。
人類における最も大きい差異が男女だとしても、人は一様に弱い。そんな弱さと、互いの尊重を描いた作品『レジェンド&バタフライ』毎度多量にネタバレを含む上、長くなるが、私なりに書き綴ってみようと思う。
全3本、よろしければお付き合い願いたい。
※文面がないため、実際の台詞と異なる表記が多く見られます。よしなに。