【1、自由死を選択できる世の中(独り言多めの映画感想文、『本心』)】
作中「自由死」という単語が出てくる。3ヶ月前に申告し、当日自ら望む方法で死を選ぶことで、病院で薬剤を注入してもらう人もいれば、自ら川に飛び込む人もいる。いずれにしても税金面で優遇され、遺される側にメリットがある制度。
〈何だよそれ。弱いものを死に追いやる制度じゃねえか〉
川に身を投げた母親を助けるために自らも川に飛び込み、結果丸一年意識を失っていた主人公が、AI主導の世の中にポンと投げ込まれるところから物語は始まる。AIに限らずとも2025年。そう。この時2025年問題にも同時に直面する。
超高齢化社会。「団塊の世代」800万人全員が後期高齢者になることで、社会保障費、介護、医療サービスの負担が激増する。だからこその「税制優遇」な自由死。死に対して誰しも不安を抱える。自由に動けなくなる、できなくなっていくことへの不安。何よりそのことによって周りに負担や迷惑をかけることへの負い目。
誰だってギリギリまで自立していたい。けれど現実10年近く、介護、誰かの手ありきで生かされるタイムラグがある。だったらまだ必要とされる内に、惜しまれる内に、幸せな気持ちのまま逝きたい。そんな思いもある気がしてならない。そんな負い目につけ込むのだから、確かに〈弱いものを死に追いやる制度〉なのだろう。
けれど全てが全て悪いとは思わない。たぶん広義、そこにも意味はない。結局その人が思い通りにできるのはその人自身だけ。だったら本来生死も自由に選ぶ権利があるはずで、止めるのは止める側のエゴ。
無論自殺を推奨するつもりはない。けれども「その人の人生」、関わることはあっても縛るのは違う気がする。「自分はこう思う」を伝えたらあとは本人が決めること。人は人によって生かされる。巡ることで幸せを感じる。だったら巡るための一手段として、自由死はあっていいと思う。これはただの個人の見解だ。