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【2、5、表現の一端を担う(独り言多めの映画感想文、『海の沈黙』)】



 牡丹をフランス語で「ピボワンヌ」と言うそうだ。当時ヨーロッパで日本の芸術がもてはやされ、中でも人の身体をキャンバスにする刺青の文化は、熱烈なファンを魅了した。元より日本で人の身体に刺青を入れる「彫り師」と呼ばれる職業は存在し、時に腕の立つ彫り師は己の「作品」とともに国に招かれた。
 前提として刺青は痛い。主人公である津山も彫り師としての顔を併せ持つが、「すごく痛い。我慢できる?」と言う代わり、「彫る」以外のことに関しては過剰なまでに気遣い、労った。
 自分を魅了する、心酔する表現者の作品の一端を担うこと。
 吐き出す時の気配、温度。それは直に受け止めて初めて本質に触れることができるのかもしれない。出自、ルーツ。こうしてこの作品は生まれたのだと、耐え難い痛みと引き換えに思い知る。安っぽい言葉ではないそれは、直に伝わる。
 
 その表現のために耐え抜いた結果、その価値を知らしめるための、己が証人となる。
 背中一杯に彫られた牡丹。ピボワンヌと崇められた女性は着物で現れると、オーディエンスを前に背を向け、肩から着物をストンと落とす。その一瞬。
 誰もが息を呑む。一面の彩りに言葉を失う。
 悦び。それは相応の痛みを負った自負があるからこそ、堂々と享受できるもの。己が惚れ抜いた魅力を、己を介して世に発信する。そんな恍惚。イカれた思想。







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