名もなき関係
ギャップに惹かれる鉄板。対比。コントラスト。
明暗、大小、硬い柔らかい、質感の違い。いずれも芸術にまで昇華するのに必要なのは、そのバランス。偏ってはいけない。依存してもいけない。目的に忠実に、己を研磨し続ける。
男女が並んで踊る。同じ楽曲でそれぞれ自分の持つ感性を発揮する。
男性はしなやかで敏捷な動きを可能にする筋力を活かして。
女性は豊かな表現力と柔軟性を活かして。
あえて顔を出さない男性の代わりに、女性の底抜けにハッピーな笑顔が彩る。
身長差のバランス。男性にしては愛らしいフォルムと、女性にしてはメンズライクないでたち。違うのに同じ。同じ生き物に見える。その空間がならされる。
別に男女に限った話ではないし、これはただ単に違いが浮き彫りになりやすいがために取り上げた事例だが、この際ついでにもう一つ、別の対比も上げておく。
恋人同士は赦し合う。ダメな自分も抜けてる自分もオールオッケー。安全地帯のセーフティネット。刻一刻と変わっていく張り詰めた現実に、深呼吸をさせてくれるかけがえのない存在。
一方、目的に忠実に、己を研磨し続ける名もなきパートナー同士は高め合う。互いに相応しく在ろうと背筋を伸ばす。
異性によく見られたいという欲目結構。結果的に出来上がったものが対象を魅了するなら、それは善に区分される。この事自体、汎用性が高く、絵、音楽、文章、ダンス、それぞれに応用が効く。
そうしてそれは、ことテニスという競技においても活きて来る。ダブルス、というやつである。
サーブ、ボレー、ストローク。それぞれに球種があり、グリップの持ち方、打ち方一つで、スピン、フラット、スライスを打ち分けられる。ただ基本の型は決まっていて、その多くは男性はスピン、女性はフラットと聞く。もちろん例外はあるが「弾道低め並行なフラット打球」のために「アウトしにくい女性用ラケット」なるものが開発される位だから、そう間違ってはいないと仮定する。
この場合「相手にしたくない、球種の異なるユニット」として、結果、競技としての難易度を底上げする補完能力に優れているため、男女ペアとしての競技が成立していると推測することができる。
ちなみにミックス、と名のつくこの男女混合ダブルスを、何をか「距離が縮まりやす」く、「(ハイタッチなど)自然と触れ合うことができる」競技としてネットで取り上げられることがあるが、結構な手練でも、異性と組むとなると途端力を発揮できなくなるケースが数多く見受けられるため、生半可な気持ちでの競技介入はオススメしないことを先にお伝えしておく。これはテニスに限らずだと思うが。
つらつらと書いてきたが、いかんせん男女をクローズアップすると、どこか引っ掛かりを覚える感覚がスタンダードになった今、私はあえてこのコントラストの美しさに焦点を当てたいと思う。
以前「インスピのべる」でなななさんの作品を拝借したが、補完という感覚が本当にしっくりきたし、一方で「書く」者としての不足を顧みる機会にもなった。
もっとテニスが上手くなりたいと頑張るのは、根っこから直そうと思ったのは、そうまでして組みたい相手がいて、その人に見合わない自分に気づいたためだ。もう一度言う。
恋人同士は赦し合う。
その一方で、高め合う、名もなきパートナーも存在する。
YouTube踊ってみた。たった四分の動画に詰まっているもの。純度の高い芸術は、人を幸せにする。豊かにする。圧倒する。これは私がこの先「書く」上での可能性、展望の話である。あなたにも思い当たる節がきっとあるはずだ。そして
もし今ここにいるあなたにもその能力を是非とも見せていただきたい。勿論男女問わない。その姿に応じて変化する、私はどこまでも柔らかい生き物でありたい。
たまには真面目なことも書くんだよ、なんて。伝わればうれしい。あなたにとって、何らかの形で能動につながればもっとうれしい。
終わり!(〆ザツ!)