ヤクシマにいったい何があるというんですか?
修学旅行に行かないことにした。友達も先生も学校も嫌いじゃないし人生で1回しかない高校の修学旅行なんだから行けばいいじゃん!という自分ももちろんいたがなんか抗ってみたくなった。多分そういう時期だったんだろうなあと大人になればなんとなく追憶できるんだと思うしもしかしたら後悔するのかもしれない。でも、大人になってからの自分の感想とか知らねえよ!!今は衝動で行動するんだ!と思った。野田知佑さんの新・放浪記を読んだタイミングもあったかもしれない。ついこの間なくなってしまった。私は世界一かっこいい人だったと思っている。そして修学旅行意思確認書の □参加します にチェックをつけず、旅に出ますと備考欄に書いた。ああもう引き返せないぞと思った。なんかよくわからないけど震えた。これが俗にいう武者震いか〜調子出てきたな〜と思って部屋の温度計を見てみたら8度だった。北海道はまだまだ冬だった。
修学旅行は2泊3日で9万円の旅程だった。そんなこんなでまとまったお金と3日間を手に入れた私は最強になった。 可能性自身がワクワクしている音が聞こえた。せっかく北海道に住んでいるのだし北海道旅も考えたが寒いのが嫌いなのでなくなった。とりあえず南の方に行きたいなあと漠然と思った。(屋久島行ってみたら結構寒かった)1人でいわゆる観光スポットを回ってもあんまり楽しくなさそうだし場所自体が力を持つところへ行きたかった。そして屋久島だ、と思った。とにかくそう思った。私の中の電光掲示板にYAKUSHIMAという文字がゆっくり流れていった。なんだかしっくりきた。そうか私は屋久島に行くのか。そう思うと俄然やる気が出てきた。私は、特になんのきっかけがあったわけでもないのに屋久島へ行くことにした。
決まってからはとにかくすごい速さでいろいろ動いた。けっこう紆余曲折あったけどまあ本筋と関係がないので省略する。もともと修学旅行は2泊3日の行程だったから同じ日取りで行こうと思っていたが札幌を発つ日もずれてしまい、自由な日も欲しかったので6泊7日のスケジュールにした。もうこの時点でいろいろおかしい。は??と自分でも思った。あんまり口馴染みがないので6泊7日がロッパクナノカなのかロクハクナノカナノカすらもあやふやだった。修学旅行とか関係あるか?という声も四方八方十六方位からいただいたが丁重にラッピングをしてお返しした。学校もしっかり5日ほど休むことになった。しかしもともと私は無駄で不純な動機による(雨だから、天気が良すぎるから、裁判傍聴したいから、普通に気が乗らないからなど多数)遅刻欠席早退が多く、あまり素行がいいとは言えない生徒だったためその辺は親や先生も含めあまり気にならなかった。気にしろよとちょっと思った。気にされても困るなと2秒後にまた思った。そのまた2秒後にはもう屋久杉に想いを馳せていた。
誕生日にもらえるお金を前借りしモンベルに駆け込んで必要なものを揃えたりYouTubeで屋久島と表記のある動画を片っ端から見たり屋久島に持っていく本を選定したり着々と心や装備の準備を進めていった。学校の登山を教えてくれた先生に屋久島のしっかりした地図を渡されたり、クラスメートになんか買ってこいよと圧をかけられたり周りの人たちもはみ出しものの私をけっこうなまあたたかく見守ってくれた。みんな優しい。多分どうでもいいだけだと思う。あとは出発を待つだけになった。
そしてついにその日になった。飛行機の乗り方が本当によくわかっていなかったけどとりあえず空港につけばなんとかなるだろうと思って家を飛び出した。なぜかどこへ行く時も定刻ギリギリになってしまうので文字通り飛ぶように家を出たのだ。なんやかんやかんやかんやかんやくらいあって飛行機に乗れた時には嬉しかった。出発はいつでも素晴らしい。野田さんも言っていた。期待と不安がごちゃ混ぜになるこの感情を味わうために旅に出るといっても過言ではない。1日目はこうして飛行機に乗って降りてを繰り返しその都度しっかりあたふたしながらなんとか屋久島についた。宿に17時くらいに着いたがそのまま寝るのももったいなかったので散歩をすることにした。足取りが信じられないくらい軽かった。もうほぼスキップだった。いや足が地についていたかすら怪しい。そして気がついたら笑っていた。色々なものから解放されているのを感じた。この瞬間だけ私は完全なる自由だった。誰に見せるためでもない自分だけの笑顔にまた高揚した。2キロくらい歩き一枚岩についた頃には結構暗くなっていた。あたりに街灯らしきものも見えないのに気がつき急ににちょっと怖くなって駆け足で帰った。もう既に来てよかったと思っていた。ここに後一週間いられることが心底嬉しくてほくほくとした気持ちで眠った。
そこからの5日間は蝉の生涯のようにとにかくあっという間にすぎていってしまった。森を歩いて生物一つ一つの音、匂い、気配に体をすませる。いつの間にか厚くなっていた外界と自分とを隔てる壁が徐々に薄く繊細で敏感なものになっているのを感じた。はじめはバームクーヘンくらいあったそれが最後には体感でプレパラートのカバーガラスくらいになっていた気がする。
屋久島には私に必要なもの全てがあった。やま、かわ、うみ、そら、けもの、みず、みどり、それぞれが静かに、でも美しく呼吸をし己の生命を全うしていた。自分もそれに呼応して再生しているように思えた。とにかく世界が綺麗で目に映るもの全てがぽおっと光って見えた。
カヤックは最高だった。私は哺乳類だしカモノハシではないのでやっぱり水の上にぷかぷかと浮かび自分の周りの水流を操って前進するのはのはなれないし怖かった。それでも死ぬほど楽しかった。ここでは前に進むも後ろに進むも回転するも全てが自分次第だった。漕ぐのに疲れたら体をカヤックに預け空を見ていればよかった。主人公の気分だった。カヤックに興味がある人もそんなにない人も苦手かもって人もミスドよりコメダ派の人も全員やってほしい。マジで楽しい。上半身がフニャフニャな私は翌日しっかり筋肉痛になった。それでも絶対にやるべき。
西部林道もかなり楽しかった。駿が一番楽しみにしていた場所だと教えてもらった。普段私は歩く道が明確に他と区別されているセレブのような登山道を歩いていたがここにはそんなものはなかった。要するにどこを歩いてもよかった。興奮して普通のルートの三倍くらいの距離を寄り道してグニャグニャしながら歩いた。大きい岩があればよじ登ったし猿や鹿に挨拶をしながら自分勝手に道を選んだ。非効率性が最高に気持ちよかった。
そして何と言っても屋久島は人がよかった。でも確かにこんなに美しい桃源郷のようなところに住んでいたら嫌でもニコニコしちゃうしいい人になるよなあと思った。ここで出会った人たちとほぼ毎晩焚き火を囲んだ。ひとまわりふたまわり年上のひとたちばかりだったがみんな、大人に接するように私と対等に向き合ってくれた。音楽の力も借りながらいろんな経験やバックボーンを持つ人とお話をした。ここの大人はみんな軒並み破壊的なほど楽しそうだった。自分の周りの大人はみんなどこか疲れていて厭世的な雰囲気を持つイメージがあったのでとても新鮮だった。こんな人たちみたいになれるのなら大人もそう悪くないなあと思った。不安しかなかった将来が川の底に潜む砂金のように少しだけキラキラして見えるようになった。
ついに帰る日になってしまった。朝目が覚めた瞬間に今日帰らなきゃいけないのかあとちょっと憂鬱な気持ちになった。私が滞在した七日間のうち5日くらいはあの雨の多い屋久島で晴れの日だったが最終日は雨が降っていた。ベルベットイースターを聴きながら荷物を詰めた。とんでもなく悲しい気持ちだった。そして空港に着きチェックインをすませさあもう乗るだけというところで周りがざわざわし始めた。どうやら飛行機が屋久島空港に着陸できないらしいのだ。そうして私が乗るはずだった朝一番の便は欠航になった。次の便に乗っても乗り継ぎの飛行機的には大丈夫だったので待つことにしたが内心よっしゃあ!まだいれる!!と思った。屋久島の神々は私にもう少しいてほしいみたいだった。慢心にもほどがありますよね。自重します神様すみません。次のに乗られなかったらもうその日中に帰ることは不可能になる。正直乗れなくてもいいやと思っていた。
1時間後、飛行機は無事に空港に着陸成功した。飛行機に乗って屋久島の大地から離れる時泣きそうになった。これまで利尻からブラジルまでいろいろなところに行ってきたがこれほどホームシックにならない旅も珍しいなと思うほどだった。また初日のように飛行機の乗り降りを繰り返し着実に屋久島から離れていった。寂しかったけど絶対またいくからと思いなんとか家まで気持ちをつなげた。家に着いたのは夜中だった。私はこの旅でかなり完璧に充足していた。相当楽しかったし余韻が抜ける気がしなくて結構困っている。
ここまでちゃんと私のこのダラダラした文章を読んでくれた人はわかったと思うけど超絶断片的で抽象的な記録である。しっかり日記とかをつけなかったからだ。毎日今日こそは残そうと思い、思うだけで叶わずを繰り返し今に至ってしまった。でもむしろ記録として書きのこさなくても頭に残っている出来事や感情をそのまま移せたのでよかった気がする。サボってただけだろ!などという正の論を呟きたい気持ちもわかるがひとまず遠慮してほしい。とりあえずそういうことにさせてほしい。私は息を吸ったり吐いたり寝たり食べたり遊んだりするのにとっても忙しいのだ。そういえば受験生だった。勉強しなきゃ。模試の結果を見て、そんなことしている場合?とこっちを見ているもう1人の自分の視線が痛いし、本当にこんなことをしている場合ではなさそうな感じがなんとなくふわっとするのでこの辺で終わりにする。あとは私に直接聞いてください。きっと聞かれなくても喋ってると思うけど!!!!あとちなみにラオスは読んでません。いつか読みたい。またどこかであいましょう。バイバイ。