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年末だからって掃除が出来なくてもいいんだよ

今年は、ろくに掃除をしないまま新年を迎えようとしている。

Twitterのタイムライン上では大掃除をしたというツイートや、掃除をしろと促すアカウントを見るが、やる気が出ないのだから仕方がない。

けれどそこで私は自分を責めたりしない。なぜなら、掃除をしようとしない自分の心の引っ掛かりを解放すれば、いずれそれとなく片付けや掃除ができるようになると、信じているからだ。

部屋が散らかっていたり、掃除ができない人はダメ人間だという、世間の風潮というか、無意識の圧力がある。私もそんな風に自分を責めてきた。

そしてそういう人は、大抵の場合(私も含め)セルフケアも苦手だ。

これは何故かと言うと、片付けや掃除とセルフケアは、原動力になる気持ちが似ているからだ。それは自分を大切にしようという心。

ここ数年「自分を大切にしよう」と声高に叫ばれている。私自身も試行錯誤しながら自分を大切にしようとしてきた。しかし私は自分が好きだったわけでなく、むしろ、自分をかなり蔑ろにするタイプの人間で、自分を責め苛みながら生きてきた。しかし、それでは行き詰ってしまったのだ。

試行錯誤する中で気付いたのは、「自分を大切にするのは意外に難しい」という事。

長年自分を責めながら生きてきた人間は、自分を責める事が苦しい事なのは事実だが、それと同時に、慣れたパターンなので、楽なのだ。

本来は自分を大切にする事が喜びであるはずなのに、自分が幸せを感じる事に対する恐怖心や罪悪感が浮上してきて、「自分を大切に」を妨げてしまう。

「自分を大切にする事」の大きな壁になるのは、「自分が自分を慈しむ心を持てない」という事。

何故持てないかと言うと、大抵の場合そういう人は、生育環境の中で自分の欲求が叶えられたり、自分の感情に共感された経験に乏しいからだ。

「自分は大切にされていない」「欲求が無視された」と感じ続けた心は「自分には価値がない」「欲求を満たす事はできない」と根底で絶望し続ける。

そこで形成されたパターンは繰り返され積み重ねられる。自分を蔑ろにするパターンを繰り返し、またそれが周囲からダメ人間と謗られ、自分の理性もまた、自分をそう罵ってしまう。

「片付けられない自分はダメ人間だ」と。

悪循環である。

ここから抜け出すには色々な方法がある。けれど私が伝えたいのは、考え方の部分。

まずは片付けられない・セルフケアが出来ないなど、「自分を大切にできない事には、然るべき理由がある」と気付く事。

そして、過去に無視された自分の欲求、つまり心の素直な快・不快に耳を傾ける事を繰り返していく事だ。

これは、話を聞いてもらうだけでスッキリする原理と似ている。

人は思っていることを聞いてもらえる、あるいは言葉にしてもらえるだけで、安心し、心が解き放たれ、気力が湧いてくる。

「聞いてもらえて、考えがまとまり視界が開けた」「なんとなく出来そうな気がしてきた」みたいな経験はないだろうか。

それは、自分の中で行う対話でも十分に同じ事が起こせる。

行動が出来ないのは「行動力がないから」ではなく「行動を妨げる要因があるから」なのだ。

他人の的を得ないアドバイスが逆効果になると同じで、ダメなところを直そうとする小手先の知識も意外と邪魔になる。

相談やカウンセリングの現場ではほぼ当たり前の事だが、「相手の問題を解決しよう」という気持ちがあると大抵の場合上手く行かない。

何故なら、それは相手を信じない行為だからだ。これは自分に対しても同じ。

まず「自分には(相手には)解決する力がある」と信じること。

そして、耳を傾ける。耳を傾けるとは、素直な気持ちを「理屈抜きで」受け止める事。

それができれば、必ず心の内側は変化する。

「私の言葉を聞いて貰えた」と、絶望していた心が恐る恐る顔を上げ始める。

これが信頼関係。

この信頼関係が、自分の中で結ばれ始めると、少しずつ行動が変わってくる。

もちろん、人間関係でもそうであるように、信頼関係を結ぶのは時間がかかる。ましてや、長年共に居るのに無視し続けた相手だ。場合によってはマイナススタートになる。だから、逆に言えば焦る必要はない。

そして、はじめからハードルの高い事をしなくてもいい。食べたいものを食べる。好きなだけ眠る。ダラダラしたかったら思いっきりダラダラする。

そうすると、はじめは居心地の悪さを感じるかもしれないが、そのうち「悪い」と思い込んでいるのは自分自身だと気付いてくるだろう。

自分の具体例をあげておく。

今朝気付いた自動思考の話。

洗面所の汚れた鏡を見た時に「鏡が汚れてるなぁ、掃除しなきゃなぁ」と思った。

その時、とても心に暗い影が差した。そこにあったのは汚した罪悪感と、掃除への義務感。

当然、そんな気持ちからでは掃除しようという気力は萎える。実際「しなければ」と思えば思うほどやる気は削がれていき、鏡を見るのすら嫌になりそうだった。

これは理性だけで考えているからこうなる。
だから理性から本能にスイッチし、まず自分の快・不快で事実をはかる。

責める思考を一旦止め、「鏡が汚れている状態は、心地よい?」と自分の内側に聞いてみた。

「心地よくない。汚いのヤダ」という声が上がってきた。「やっぱり、そうだよね」と自分も思う。そこで、少し掃除への義務感が和らいだ。

ただ、その時はすぐ出かける用事があったため掃除はできなかったが、義務感が軽くなっただけでも、大きな成果とした。

行動にまで移せなかったのはおそらく、私の中にまだ、心地よくない状態を長い間無視されてきた悲しみと、諦めがあるからだと思う。

また、心が緩んだのか「鏡が綺麗になる方法を、きちんと知らないから、ちゃんと綺麗にできるか不安」という声も浮かんできた。

「鏡が綺麗になる方法を調べる」くらいなら出来そうだな、と思った。

私もまだ、自己解放の途中だ。

少しずつ、少しずつでいい。

心の声に耳を傾ける。心が緩む。この感覚を味わう。それだけでも確実に変わる。

大掃除が出来ない自分を責めるのではなく、大掃除が出来ない自分を認めること。「なんで?」ではなく「そっか、そうなんだね」と声をかける。

気が向いたらやればいい。人に手伝ってもらったっていい。まずは自分が心穏やかに過ごせる事が何より大切なのだ。

外はかなり寒いけど、今日は今年最後の満月。この天候では、地域によっては見られないかもしれないけど、そのエネルギーは全員に等しく降り注いでいる。そして、満月は手放しの日でもある。「自分を苦しめるパターンをひとつ手放す」と、決めてみてもいいかもしれない。

どうぞ、良いお年を。


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逸見灯里
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