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今はまだ自分が嫌いでもいい

私はストレスの発散が下手くそだ。

悲しいこと、辛いことを我慢して我慢して我慢して、爆発する。
爆発すると、突然号泣してしまう。

会社で働いていた時は、週に一回。ひどい時は3日に一回。
在宅で仕事をしながら少しずつ精神的に回復して、今はだいぶマシになったが、それでも月に一回くらいは爆発する。

頑張れば頑張るほど、無理をすればするほど取り乱し具合はひどくなる。どうしてそうなるかといえば、多分、単純に頑張り方が下手くそなのだ。自分を甘やかすのが下手とも言っていい。

私は自分のストレスに鈍感だ。しかし、それは辛いことに耐えられるのではなく、見て見ぬ振りするのが得意なだけで、あとから必ず反動はやってくる。押さえ込んだ自分に反撃されてしまうのだ。

そして最近は取り乱すときに決まって口にする言葉がある。

「寂しい」
「そう思ってしまう自分が嫌い」
「ちゃんとできない自分が許せない」

この3つだ。

寂しい、は旦那に対しての不満が口から出てくる。

しかし、旦那は旦那なりに、私をすごく大切にしてくれるし、とても感謝している。だから私が多くを求めすぎというか、たぶん愛情を受け取るのが下手くそなのだ。

問題は自己嫌悪の方で、私はとにかく「こうあるべき」に囚われてしまいがちだ。だからそこから外れた自分を許せなくて罰しようとしてしまう。

こんなみっともない自分はいなくなればいいと、本気で思っている自分がいる。だから自分が許せなくて、爪を噛む、肌に爪を立てる、頭を殴るなどの自罰行為に及んでしまう。それが周りを悲しませることを理解しているから、そんな自分も許せなくて、最終的に消えたくなる。

これまで私は「こうあるべき」にとらわれるあまり、「こうしたい」をないがしろにしてきた。だからこの3年、自分の「こうしたい」という感情に向き合ったり、自分を受け入れることを意識してやってきた。

一年目は自分の心の膿をかき出し、
二年目は自分の意思で、やりたいことに忠実に生きた。
三年目の今、やりたいことだけでは破綻するということがわかったから、
そのバランスをとる練習をしている。

仕事を辞めてからのこの三年、まるで自分の人生を生き直しているようだった。そこにずっとあったのに、初めて「自分の感情」を手に入れたような感覚があった。

おかげで生きるのが随分と楽になった。

人生が楽しいと初めて思えたし、「死にたい」が口癖で未来のことなどどうでもよかった自分が、自分のこれからについて考えられるようになった。

だけど、この「寂しい」「嫌い」「許せない」という3つの感情だけは、私の心に深く根付いている。

たとえば草むしりをしているときに、たまに異様に根が深くて抜けにくくて、切るしかないような強靭な草に出くわしたような。
あるいは部屋の掃除をコツコツとやってきて、やっと片付いたと思ったらすこぶる落ちにくい汚れに気付いたみたいな、そんな感じだ。

この感情が表に出てきたのは、ここ数ヶ月の話だ。

深夜に爆発して、泣いて喚いて、一ヶ月間積もりに積もったストレスがはげ落ちたあと、必ず最後に残ったその言葉にたどり着く。

「自分が嫌い」と呻くように吐き出すとき、「ああ、心の底からの声だ」と思う感覚がある。ちょうど胸のあたりから、言葉がずるりと滑り出てくるような、そんな感覚だ。

心と口が喉の奥でつながったような感じがして、どうしようもなく心の底からの言葉だと感じる。

そして同時に、それは私の人格形成と密接に関わっていて、簡単には切り離せない、心にべったりと癒着したものだと思う。無理に切り放そうとすれば、大切なものまで剥がれてしまいかねない。

自分が嫌いな自分を、自分で否定する。そうなればもう、逃げ場がない。無限ループだ。

それに、もしかしたら、その「嫌い」は、本当は「愛したい」あるいは「愛して欲しい」の裏返しなんじゃないかとも、薄々だけど感じている。

だから、逆に無理に切り離さなくていいような気もする。
きっといつか「もういいよ」と自分を許せた時に、いつかふっとなくなるようなそんな気がするのだ。

だから、今はまだ嫌いな自分を無理に受け入れようとしなくていい、そう思いたい。

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逸見灯里
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