《半可通信 号外:2019.7》この場所では語らないことについて、一度だけ語っておく
われながら残念なくらい大仰なタイトルだ。でも、これを語るなら今を措いてないだろうと思うので、あえて。
なにしろ「ゆるふわ教養主義」を標榜している本コラムなので、ここではローカルで個別具体的な事象をもとに自由に連想し、そして結論を急がず留保することを旨としている。というより、何らかの箍を嵌めないと話をまとめに行きたがる、そういう自分を縛めているようなものかもしれない。
それでも、どうしてもこの場で一度触れておきたいことがあった。それは、「権力者によってこの国の言葉がどんどん壊されている」ということへの不服申し立てであり、警告だ。このことについては、国語学者、文学者、著述家などはもちろん、言葉を大切に思っているすべての人が声を上げていくべきことだと思っている。
例を挙げればきりがない。そのためにこれら「言語の破壊」に慣れっこになっている自分に改めて気づかされ、ぞっとするほどだ。
そもそも政府提出法案からしてそうだ。「働き方改革法案」の実態は、残業代ゼロ働かせ放題を含む、雇用者目線の「働かせ方改革法案」であったし、「安保法制」は安全保障どころか他国の喧嘩を買って出て火の粉をかぶるばかりの、危険極まりない「戦争法」であった。「特定秘密保護法」は官庁や役所への情報公開請求を「のり弁」化し、国民の知る権利を不当に奪いつつある。「特定」の秘密の保護ではなく、秘密主義そのものだ。
内閣や総理自身、および与党から発せられる様々な公式文書や発言については、もっとあからさまだ。「『そもそも』には『基本的に』という意味もある」と、国語辞典に真っ向から異議を唱えた閣議決定はその態度の象徴と言えるものだ。こんなのは小さな言い間違いで取るに足らない、と思う人がいたら、五輪招致で福島第一原発の放射能は「アンダー・コントロール」だと発言したこと、TPP反対を掲げて選挙に勝利した途端すぐ手のひらを返したこと(農畜産物の聖域5品目を守るとするも完敗)、安倍総理夫人を「私人」とした閣議決定(政府公式行事に頻繁に登場し、秘書役まで付けられていて私人なわけがない)、辺野古のサンゴは移植済みとの発言、などなど、枚挙にいとまがないこれらを思い出してほしい。そしてこのうちのどれ一つとして政府が撤回あるいは訂正したものはなく、牽強付会の言い訳で自身を正当化し続けている。
そんなもんだろう、と慣れっこになっている頭を一旦冷まし、一つ具体例を取り上げて、この問題の深刻さを確認してみたい。昨年(2018)7月の西日本豪雨における内閣の対応だ。尋常ならざる災害になる可能性を予見した気象庁は、特別警報発令に先駆けること27時間前となる7月5日14時、異例となる会見を行い厳重な注意を呼びかけた。しかしご存じのとおり、首相はまさにその晩に党内関係者と宴会、翌6日も災害対策に関する挙動は一切なく、7日はほぼ終日私邸から出ず(三日酔いの疑惑が言われている)、気象庁会見から66時間を経た8日午前にようやく非常災害対策本部を立ち上げた。このとき安倍首相が語ったのが「先手先手で対応」という一言である。すでに6日夕方から夜にかけて、九州北部・中国・近畿の8府県に特別警報が発令された、その30時間以上も後のことであった。
何がどう「先手先手」なのか、説得力ある説明のできる人がいたらお会いしたいものだ。しかし、この発言についての各種メディアの追及は、一部の新聞を除いて、腰の引けたものとしか言いようがなかった。
もし、物を書く人が、こういう事例について「それは言葉の解釈の問題だから…」と判断を留保するのだとしたら、それは言葉の死を認めるとの同じことだ。
言語が一定の共有性、共通理解を担保するためには、その言語の機能、用法における一定の規範が共有されていなければならない。それを、権力者が曲げて恣意的な意味づけを行うことによって、言葉が死んでいく。そのことに言論空間が譲歩を重ね、後退を続けるならば、早晩その言語は息の根を止められる。
そして、言語の死は、自由な学問的探求、表現の可能性の探求、それらすべてにとっての死である。
まさか自分がこんな時代を生きることになるなんて、想像もしなかった。
この時代にあえて「ゆるふわ教養主義」を掲げるのには理由がある。それは、自由に思考の逍遥あるいは渉猟を行うことが、ただしく言語が共有され機能していることの証跡となると同時に、こういう思考を淡々と、しかし決して怯むことなく続けることこそが、言葉を殺そうとする力へのささやかな抵抗となると考えるからだ。それこそ、かつて吉田健一が「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである」と書いたがごとく、この営みを頑として続けていこうという意思の、ちいさな燈を守る気概からだ。
それにしても、力んだ言葉は、必要なときには必要なものだとはいえ、書き終えて後味の良いものではない。そんな思いをせずに言葉を綴ることのできる時代が遠くないことを夢見つつ、この場所ではひたすら緩く思考を続けていきたいと思う次第である。