【感想】NHK大河ドラマ『光る君へ』第42回「川辺の誓い」
2024年11月3日(日)20時『光る君へ』第42回「川辺の誓い」を視聴しました。
<NHKのあらすじ>
宮中で、道長(柄本佑)と三条天皇(木村達成)が覇権争い。
道長は娘・妍子(倉沢杏菜)を三条天皇の中宮にするも、三条天皇は長年付き添った東宮妃・すけ子(朝倉あき)を皇后にすると宣言。
そこで道長は権力を誇示するため、ある計画を立てる。
しかし体調に異変が…。
一方、まひろ(吉高由里子)は里帰り中に、娘の賢子(南沙良)がケガをした双寿丸(伊藤健太郎)を連れているところに出くわし…
■プロローグ
■長和元年(1012年)
私の子を返せと気が狂ったように迫る明子(瀧内公美)を受け止める道長。
頼通(渡邊圭祐)によると、顕信を蔵人頭にしたいという帝の司令を道長が拒否したのが原因ということでした。
教通(姫子松柾)は現世を捨てるのはやりすぎだと述べています。
---音楽---
冬野ユミ
---テーマピアノ演奏---
♬反田恭平
■明子
俊賢(本田大輔)が急いで明子の元に駆けつけました。
顕信のことは残念だったが、内裏の力争いから逃れ心穏やかになったという。
明子は比叡山は寒い、凍えているのではないかと涙をこぼしながら心配します。
道長は贈り物を比叡山に届けるように百舌彦に命じました。
●内裏
三条天皇は妍子を中宮にすると道長に命じます。
さらに、彰子は皇太后になってもらい、中宮大夫は道綱、中宮権大夫を教通とせよとも。
●ナレーション 伊東敏恵(NHKアナウンサー)
「だが、この話はこれだけでは終わらなかった。一月後・・・」
娍子を皇后とする、一帝二后をやった道長なので、異論はないだろうとも帝は述べます。
道長はできないと拒否します。
大納言の息女が皇后になった例はないと。
妍子の所には渡らない、そうすれば子ができないと脅します。
(ナレ)
「道長は三条天皇の術中に落ちた」
●公卿たち
斉信(金田哲)は、このままでは帝のやりたい放題だと言います。
俊賢が、娍子の立后の日に妍子の内裏参入をぶつけてはどうかと提案します。
公任(町田啓太)は、公卿の考えていることがハッキリ見えると賛成です。
行成(渡辺大知)は、みんなの心を試さなくてもいいのではと乗り気ではありません。
道長は公卿への根回しを俊賢に託しました。
それに対し、三条天皇は、策を練ります。
妍子の内裏参入は夜なので、娍子立后の儀を昼に行うと策を示しました。
通任(古舘佑太郎)もいい案だと承諾しました。
(ナレ)
「時刻をずらしたにもかかわらず、多くの公卿たちは道長に遠慮して、娍子立后の儀に参加しなかった」
右大臣も内大臣も来ない、立后の上卿を務めるものがいないと帝は悩んでいます。
その時、実資(秋山竜次)が帝の前に現れました。
帝は承継の儀の上卿の役を務めてほしいと懇願し、実資は承諾しました。
「天に二日なし 土に二主なし」(実資)
■2つの宴
立后の宴が行われましたが、メインの娍子(朝倉あき)以外に、隆家(竜星涼)、実資ら、4人しか出席していません。
来ていない分の食膳は下げたほうが良いかと尋ねられた資平(篠田諒)は、そのままでいいとしました。
一方、妍子の宴は賑やかに勢揃いです。
斉信が中宮を支えると宣言しています。
道長は妍子を見ながら浮かない顔をしています。
●実資
千古をあやしながら楽しそうな実資です。
その姿を見る百乃(千野裕子)は妙なことを教えないでと言います。
そこに息子の藤原資平(篠田諒)がやってくると、帝からの言葉を預かっていると話します。
政を思いっきりやりたい、左大臣の思い通りにされたくない、実資を相談役にしたい、という内容です。
どちらの味方でもない、浮かれるなといいました。
■お渡りの件
妍子にお渡りしないのはなぜかと問うと、いつも宴ばかり催して年寄りが入り込む好きなどないと。
比叡山では僧侶から石を投げられたと話を変えます。
祟りがあるぞ、しっかり祓ってもらうのが良いとアドバイスしました。
顔は笑っていません。
(ナレ)
「それからも、三条天皇は妍子のもとには、なかなか渡らなかった」
宴三昧の妍子、うれしそうに若い男性に酌をさせています。
■まひろへの相談
まひろが執筆中、道長が訪ねてきました。
妍子にお渡りがないのだとまひろに打ち明けます。
それに対し、どうすることもできない、物語のようにはいかないと返しました。
(まひろの声)
「もの思ふと 過ぐる月日も 知らぬ間に 年もわが世も 今日や尽きぬる」
●半月の夜
(まひろの声)
「物思いばかりして月日が過ぎたことも知らぬ間に、この年も我が生涯も今日で尽きるのか・・・・」
●雲隠
まひろの部屋を覗く道長は「雲隠」と書かれた紙を見つけました。
●賢子と双寿丸
まひろが実家に帰ってきました。
賢子はお出かけです。
双寿丸が頻繁に訪ねてきて心配のいと(信川清順)です。
そこに賢子と怪我をした双寿丸が帰ってきました。
あんたの飯がうまいからと双寿丸はお世辞で返します。
■病気で倒れる
(ナレ)
「その夜、道長は病に倒れた」
高熱で苦しむ道長を倫子(黒木華)が看病しています。
■辞表
道長の辞表が源通方(植木翔平)によって三条天皇にもたらされました。
返すのが先例ですが、帝は返したくないのが本音です。
倫子と穆子(石野真子)が見守る中、彰子も心配そうに見舞います。
二度も辞表を出したことを聞き、自分のせいだと自分を責める彰子です。
●まひろの思い
早く帰ってこいと彰子から手紙が届きました。
(ナレ)
「道長の病をきっかけに、内裏には怪文書が出回った」
顕光(宮川一朗太)が左大臣の病を喜んでいるものの名前が書かれた怪文書を読上げます。
道綱、実資、隆家、懐平、通任
道綱(上地雄輔)は心配していると弁解します。
実資が怪文書を読むと、ほっておけといいました。
●怪文書の影響
ききょう(ファーストサマーウイカ)は皆の心が荒んでいるからだと思っています。
ききょうは左大臣の命は長くはないと感じていました。
道綱は、会って釈明したいと強引に見舞いに来ますが、倫子に留められました。
●物語の終わり
まひろが庭掃除をしていると、きぬ(蔵下穂波)が自分がやると止めようとしました。
賢子はもう書かないのかと問いました。
源氏の物語は終わったと答えました。
書かない母は母ではないみたいだといいます。
■宇治の川辺で
百舌彦(本多力)が道長のもとに。
百舌彦がまひろの実家にやって来て、道長の健康状態が思わしくないと述べました。
●川辺で
まひろが道長の元にやって来ると、元気のない道長がいました。
二人で宇治の川辺を歩くことになりました。
早めに終わってしまったほうが楽だというまひろの言葉が分かったと道長。
誰のことも信じられない、己のことも
まひろは約束は忘れるように言います。
忘れれば俺の命は終わる、帝も皆も喜べばよいがと道長。
「ならば私も一緒に参ります。私ももう終えてもいいと思っていました」
「お前は俺より先に死んではならん、死ぬな!」
「ならば、道長様も生きてくださいませ。生きていられれば、私も生きられます」
道長は泣き出しました。
■最後の物語
硯を取り、紙を置き、まひろは筆を運びます。
(まひろの声)
「光る君がお隠れになった後、あの光り輝くお姿を受け継ぎなさることのできる方は、たくさんのご子孫の中にもいらっしゃらないのでした」
----終わり----
次回は 第43回「輝きののちに」11月10日放送です。
■感想
時代は長和元年(1012年)になりました。
966年生まれの道長は、46歳ということです。
1028年が没年なので、あと16年ほど生きます。
実資は957年生まれで没年が1046年なので、89歳まで生きたようです。
めちゃくちゃ長生きでした。
出家した顕信についてです。
『大鏡』『栄花物語』によると、
寛弘9年(1012年)正月に顕信は世を儚み行願寺の行円の許を訪ねると、そのまま剃髪し、比叡山無動寺に出家しました。
顕信の将来に期待していた両親は、大いに嘆き悲しんだと言われます。
994年生まれ、1027年に没しています。33年の短い生涯でした。
それと、宇治で書いたといわれる宇治十帖。
賢子が書いたという説もあるようです。
もちろんそれを否定する説もありますね。
どちらなんでしょうか?読んでみたくなりました。