【感想】NHK 歴史探偵「遣唐使 極秘ミッション」を視聴しました
2021年12月1日(水)22:30~23:15、NHKの歴史番組「歴史探偵『遣唐使 極秘ミッション』」を視聴しました。
1300年前、中国に渡った遣唐使。
大海原を越えた遣唐使船と驚異の航海術を徹底解明!
------ひと言------
今年の冬はラニーニャ現象の影響で大雪といわれています。
その徴候が北海道で出始めているようです。
この変動も地球規模では微々たるものなんでしょうね。
■プロローグ
最新科学で迫る航海術とは?
レジェンド遣唐使が残した謎の足跡
恐ろしい疫病も来襲、奈良時代のパンデミックに立ち向かったのも遣唐使でした。
■スタジオで
スペースシャトルにクルードラゴンの模型が目の前に。
佐藤所長「宇宙船、歴史と関係ないから置かれたら困ります」
宇宙船と今回のテーマ「遣唐使」とても関係深いのです。
空海、阿倍仲麻呂、最澄などが唐に渡っていたのです。
宇宙飛行士のように、選びに選びぬかれたエリートでした。
その旅路が大変でした。
奈良の平城京から長安まで、その距離2500km数ヶ月かかりました。
移動手段の船、遣唐使船について調査してきました
■平城宮跡歴史公園
遣唐使船、全長30mでかなり大きいですね。
・馬場基さん
遣唐大使の部屋、一番偉い人の部屋です。
四畳半くらい、一番偉い人でも我慢してくださいというものでした。
大使、留学生、僧侶、船乗りたち、多いときは160人でギュウギュウ詰めでした。
最も大事だったが糒(ほしいい)といいお米を蒸して乾燥させお湯で戻したものです。
おかきのような香ばしさもあります。
干し肉や干し柿など日持ちするものが出されたのです。
水は一人1日0.7リットルと切り詰められていました。
宇宙ステーションの工夫の仕方と似ている気がします。
■航海の危険
東シナ海、遣唐使船は遭難したというイメージありませんか?
教科書にもしばしば遭難した、と書かれています。
しかし、意外に高い確率で成功していたことがわかってきました。
7割が無事日本に着き、行きは9割の成功率です。
■神戸大
・内山雄介さん
九州から東シナ海を抜け揚州で入国手続きをしてから向かいます。
いかに早くつくかがポイントです。
風などのデータを元に月ごとにシミュレーションしました。
4月では2週間以上かかりました。
12ヶ月全て調べてみると、8・9・10月がベストでした。
9月の場合、4日程度、4月の1/4ほど。
当時の記録を調べてみると、ベストシーズンの8・9・10月に集中していました。
九州の漁師から情報収集し、明らかに風を読んで航海していました。
もう一つの壁がありました。
それは東シナ海の荒波です。船が沈没することもありました。
■九州国立博物館
・木村淳さん
中国で発見された沈没船を元に精密な模型を作りました。
船底に特徴があるといいます。
隔壁という船の構造を支えるものです。
隔壁がないと、最悪折れ曲がる危険がありますが、隔壁があると波の影響を軽減する効果があります。
この技術革新自体をもたらしたのも遣唐使でした。
中国で最先端の造船技術を目の当たりにしたと考えられます。
■スタジオで
佐藤所長「遭難のイメージがあります」
河合先生「今でも遭難が多いと書いてあり、鑑真のイメージが強くなったからでしょう」
■長安
人口100万人、碁盤の目の街です。
平城京、平安京も長安を真似して作られています。
中央アジアヨーロッパからも訪れていた国際都市でした。
豚肉、スイカやぶどう、ナスなど日本にはありませんでした。
皇帝へ謁見し、生活費を皇帝から支給されていました。
皇帝は自分の威信を見せつけるために使節に生活費「絹」を渡していました。
ここにあるのは遣唐使が持ち帰ったものです。
みかん、ぶどう、なす、醤油のもとになった調味料=「ひしお」なども輸入されていました。
1回の滞在で留学生たちは次の船が来るまで20年くらい滞在していました。
佐藤所長「もうそこの人だよね。人生をかけた人たちだったんですね」
そのため現地で遣唐使が探し求めていたものとは?
■探し求めたものとは?
・旧唐書
”絹を使って書物を手に入れた”
書物を持ち帰ることでした。
すべて手書き、くらべものにならないほど高価でした。
ところが、資金繰りに息詰まることも。
どうやってお金の工面をしたのでしょうか?
■中国・東莞市へ
・望野博物館
歴史的発見は、墓誌です。
なくなった人の業績を称えるため、役人や富裕層の人たちが作った石碑のことです。
この石碑を書いたのは、唐にいた日本人つまり遣唐使です。
墓誌を書くことは割の良いアルバイトでした。
名前も記されていました。
日本国朝臣備、吉備真備のことです。
吉備真備は、後に朝廷のナンバー3にも出世します。
唐の達人たちと比べ分析しました。
唐の達人の字を忠実に再現しています。
・氣賀澤保規さん
唐に流行った字を習って再現していたとみられます
墓誌を書いてほしいと依頼を受け、貴重な書籍を得る準備をしていたと考えられます。
こうして貴重な書物を手に入れた遣唐使は再び日本に戻ります。
日本の制度や文化を発展させていきます。
701年には大宝律令を制定、遣唐使が持ち帰ったものを参考にしたものでした。
玄昉は法典を持ち帰り、大仏建立などの大事業が始まります。
■スタジオで
河合先生「日本には1万6千巻、中国で出版されている量の半分でした」
近年、平城京から長安までの道をブックロードと呼ぶ研究者もいます。
墓誌を書ける人は唐の貴族のサロンに出入りし得ていたとも言われています
ここに珍しい本があり、『遊仙窟』という小説です。
愛し合う男女の姿が描かれている恋愛小説です。
河合先生「唐では小説は評価が高くなかったのです。万葉集、源氏物語や井原西鶴、近松、高杉晋作にも影響を与えました」
ところが、恐ろしいものも大陸から日本に到来していました。
■奈良文化財研究所
・神野恵さん
平城京跡地に残る土器には、顔が描かれています。
奈良時代に大流行した、疫病をまじないの形で土器に描いたのです。
疫病を流行らせた鬼を退治するためでした。
その疫病は天然痘のことでした。日本の人口の3割を殺すパンデミックでした。
遣唐使や朝鮮半島への使節がもたらしました。
大陸からもたらされた未知の病、鬼の仕業と恐れおののきます。
平城京の土器は鬼を封じるために作られたものでした。
九州では大規模な反乱が発生、日本は大混乱に陥りました。
立ち上がったのが吉備真備などの遣唐使でした。
・兵庫県の廣峯神社
牛頭天王は、疫病を抑えることができる神様です。
陰陽道の神で、中国の神を祀ることで恐怖や不安を除こうとしたのです。
さらに真備は、あれた国の復興にも取り組みました。
官僚養成所で人材養成、新しい教科書として唐から持ち帰った書物を利用しました。
吉備真備が帰国して8年後、墾田永年私財法が出されます。
新たに開墾した田地は今後は開墾者の私有地として認める『続日本紀』
荒れた国土の復興が進んでいきます。
遣唐使は日本の未来を変える力となったのです。
■スタジオで
この後、日本で変化が起きます。
30cmのお皿、中国の大皿文化も日本に持ち帰りました。
パンデミック後、感染症対策で小皿に取り分けることになったといわれています。
自分たちの郷土にあったように取り入れていったのです。
河合先生「ひらがな、カタカナ、も日本人の微妙な感情を表現でき、源氏物語や枕草子ができました」
894年に遣唐使が終了します。
日中の間で民間貿易ができてきて、一定の役割は終えました。
”挑戦する人が時代を変える”
ーーーおわりーーー
次回は「写真で迫る真珠湾攻撃のリアル 若者たちは何を感じたのか?」12月8日放送です。
■感想
教科書で習う「遣唐使はたびたび失敗した」というのは事実ではなかった、というのは興味深いですね。
とはいえ、九州の漁師に聞いて東シナ海の穏やかな夏に航海していたというのは、当事でも常識でしょうし、少し大げさかなあ。
最先端の文化が花開いたアジア大陸、良い面もあれば悪い面ももたらしたことを放送したのは歴史探偵ならでは。
コロナという言葉は使いませんが、昔も今も、パンデミックは中国からということですね。
吉備真備に触れたのも嬉しかったです。
後年、藤原仲麻呂の乱を制して大臣まで出世します。
藤原氏に対抗したのは見事です。
学者なのに大臣まで出世したのは吉備真備と菅原道真だけだったとか。
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