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【感想】NHK 歴史探偵「富士山と日本史」を視聴しました

2024年9月18日(水)22:00~22:45 歴史探偵「富士山と日本史」を視聴しました。

<NHKのあらすじ>
富士山を徹底調査!なぜ日本を代表する山になったのか?
きっかけを作ったのは将軍!?
江戸庶民に人気爆発・富士山パワーの秘密とは?
富士山を通じて日本の歴史を見つめる。


■プロローグ

●スタジオで
佐藤所長「ちょっと珍しいテーマです」
なぜ富士山が特別な存在になったのか紐解いていきます。
しかし、有名な富士山ですが、ある時期までそうではありませんでした。
「世の中に山てふ山は多かれど山とは比叡の御山をぞいふ」(慈円)
かつて日本を代表する山は比叡山で都から離れた富士山は辺境の山でした。
鎌倉時代を境に代表的存在に変化していきます。

■富士山が映す日本の姿

●富士山本宮浅間大社(静岡県)
・鈴木雅史さん
枝垂れ桜は武田信玄が寄進したものでした。
足利尊氏、豊臣秀吉、徳川家康、土地や建物を寄進しました。
なぜ彼らは富士山を大切にしたのか?
武田信玄自筆の願状
氏康、氏政を滅亡せしめ、つまり北条氏に戦で勝つことでした。
「富士山にお祈りすることで守っていただく、武将にとって大切なものだった」

■鎌倉時代

狩宿
・松島仁さん(静岡県富士山世界遺産センター)
源頼朝が富士の巻狩りを行った場所です。
1193年、3万人以上の武士を動員し、巻狩りを行ったのは、鎌倉幕府の威厳を貴族に示すことでした。
なぜ富士山を選んだのか?
貴族の和歌を調べるとわかります。
山をテーマにした和歌の数を調査します。
・富士山:18首
・三笠山:25首
・吉野山:34首
・龍田山:25首
富士山は貴族社会では馴染みの薄い存在、だからこそ武士の時代を象徴する存在でした。
「東国の王としての姿をみせつけようとしたのかも」

■室町時代

静岡県藤枝市の富士見平
第6代将軍、足利義教が富士山が国を代表する山に変わるきっかけを作りました。
1432年、富士遊覧を行いました。
「見はやさん 言葉ぞ低し 昔より 名高き富士に 及びなければ」
この上なく褒め称えた足利義教、同行した武士も詠みます。
「富士の嶺は名高き山と言の葉に 君残してぞ 幾千代を経む」
将軍義教を富士山になぞらえて褒め称えるものでした。
貴族意識を変えるターニングポイントでした。

●スタジオで
佐藤所長「紆余曲折があったとは驚きました」
松島仁さん「『恋』というイメージです。噴火を繰り返す活火山、火を恋で胸を焦がすというイメージでした」
さらなる願いを託すようになりました。
豊臣秀吉の陣羽織に、富士山をあしらっています。
松島さん「富士山=不死、生きて帰って来ることを託しました」
庶民の間にも富士山人気が高まります。
江戸時代には富士講という組織がありました。
江戸を中心に1000近くありました。

■胎内潜
●無戸浅間神社(富士河口湖)
・杉本悠樹さん(富士河口湖町教育委員会)
無戸浅間神社の奥に大きな穴があります。
参拝者が富士山に登る前に身を清めるために入った洞窟です。
溶岩の流れが固まってできた壁、胎内と呼ばれるようになりました。
「胎内潜」と呼ばれ江戸の人びとが数多く訪れました。
母の胎内と呼ばれる一番奥にある場所にやって来ました。
杉本さん「母の胎内から出ることによって、再び生まれ変わることができると信じられていました」

●御伝え
ふじさんミュージアム
篠原武さん
御伝え:富士山信仰の祈りの歌を記した史料
「あらそいは 我がいるところ さらになし 下なる人を 上へ上へと」
平等で安寧な社会を江戸の人が願いました。
江戸幕府の政策により、貧富の差が拡大し、厳しい生活を余儀なくされていたのです。
なぜ富士山を選んだのでしょうか?

●CG再現
・布施孝志さん(東京大学)
江戸の町並みを再現したCGを使い、江戸の町と富士山の関係を探ります。
駿河町からは、真正面に富士山が見えます。
布施さん「現在でも三越、三井があり、町人が往来していた場所です」
日本橋からも遠くに雪をかぶった富士山が確認できます。
汐留、市ヶ谷、赤坂、江戸橋などさまざまな場所から富士山が見えたことがわかりました。
・谷釜尋徳さん(東洋大学)
「山岳信仰では山に直接のぼりご利益を祈る登拝がありますが、それだけではなく遥拝という信仰もありました」
「江戸の人たちに富士山信仰が普及したり理由ではないかと思われます」

●スタジオで
さまざまな事情で登れなかった人も多かったのです。
松島さん「往復1週間以上かかり、中腹以上は女性は登れませんでした」
クイズ
A 富士山頂まで担いでくれるサービスがあった
B 富士山の絵を描けば登ったのと同じご利益を得られた
C ミニチュアの富士山をつくって登った
正解はC
富士塚といわれ関東を中心に作られました。

●音羽富士(文京区)
こだわり① 胎内という洞窟の再現です。
こだわり② 岩にもこだわりがあり、富士山から持ってきた溶岩です。
こだわり③ 山頂の奥宮

更に時代が下り、幕末になり、外交で重要な役割を果たすようになります。
「富士飛鶴図」1860年、江戸幕府がアメリカ大統領に贈った絵画です。
松島さん「外国人を喜ばせる側面があり、将軍の権威の象徴でもありました」
近代日本 富士山の新たな役割とは?

■富士山の新たな役割とは?

●京都市学校博物館
・林潤平さん
明治時代の尋常小学校の教科書です。
5年生向けの国語の教科書
世界一の名山と富士山を褒め称えています。
さらに音楽の教科書に、「あおぎみよ」という曲名です。
「あおぎみよ 富士の高嶺のいや高く 日いずる国のその姿」
その理由が教科書にあります。
「富士山の秀麗にして巍然と卓立せる有様を説き以て愛国の志を養うべし」
富士山が褒め称えられた理由は愛国心を養成するためでした。
欧米諸国と並び立つには天皇を中心に国を一つにまとめる必要があり、その象徴が富士山とされました。

■昭和時代

・小原真史さん(東京工芸大学)
戦前に発行された富士山が描かれた雑誌や絵葉書です。
富士山と戦闘機のモチーフが描かれました。
背景には日中戦争の勃発です。
「神の山霊峰が軍人たちを見守っている、日本国民を思い起こさせ、団結していく」
ありのままに描かれない時代がやって来ました。
1941年、富士山の映画を制作した後に映画監督の亀井文夫が特高警察に逮捕されます。

●問題となった富士山の映画
国立映画アーカイブ
・岡田秀則さん
「富士の地質」
富士山の描かれ方が問題になりました。
科学的に解説した映画にしか見えませんが、こうした描き方は見過ごされることはありませんでした。
富士山の神聖性を犯すものと見られました。
日本軍がすがったのが富士山でした。
雑誌に描かれたのは翼に富士山が描かれた特攻隊の戦闘機です。
小原さん「追い詰められたとき何を描くかというと富士山でした」

●スタジオで
佐藤所長「こういう歴史があったことに驚きました」
松島さん「使い方によっては良いほう悪い方に導いてします魔力でもありました」
「ふるさと富士」
蝦夷富士(北海道羊蹄山)、薩摩富士(鹿児島県開聞岳)、日光富士(栃木県男体山)、讃岐富士(香川県飯野山)
松島さん「アメリカやブラジルにも富士山と呼ばれるものがありました」

ーーーおわりーーー

次回は「戦国ご当地大名シリーズ 長宗我部の戦国」9月25日(水)22時放送です。

■感想

テーマが富士山と日本史ということで、記紀になぜ富士山が載っていないのかという謎を解明してくれるのかと思っていましたが、違いました。
古代史はスルーです、いつものように・・・。
漠然と考えたのですが、記紀に富士山が載らないのは、東国は蝦夷が住む異郷の地という設定なので、当時の政権は番国の富士山を無視したからでしょう。
なんせ、関ヶ原以東は東国という設定ですから。
そして、時代とともに東国が栄えだして、番組に出てくる鎌倉時代へと入っていき、富士山が脚光をあびることになったのでしょう。
しかし、弥生時代から古墳時代、東国はそれほど劣った地域ではなかったというのが通説となってきました。
東海の海部氏、関東の上毛野氏など大豪族が誕生していきます。

そしてNHKお決まりの日本軍叩きが最後にありましたね。
どこから見つけ出してきたのか、小さく富士山が描かれているだけなのに、戦争と結びつけるところは、さすがNHKの面目躍如です。


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