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【感想】NHK 歴史探偵「家康VS.秀吉 どうする家康コラボスペシャル(前編)」を視聴しました

2023年8月23日(水)22:00~22:45、歴史探偵「家康VS.秀吉 どうする家康コラボスペシャル(前編)」を視聴しました。

<始まる前に>
今日は「どうする家康」の番宣です。
小牧長久手の戦いについての新説がでてくるのか、お楽しみです。

<NHKのあらすじ>
2週にわたりお届けするどうする家康コラボSP。
松本潤さんが登場!家康と秀吉のバトルを語り尽くす。
激戦の小牧・長久手の戦い。
現場調査から勝敗を分けた衝撃の事実が!


■どうする家康コラボSP

●スタジオで
ゲストは徳川家康役の松本潤さん
家康VS.秀吉がテーマです。
二人の履歴書を用意しました。
家康は、三河で誕生、秀吉は尾張の農家で生まれました。
本能寺の変で秀吉は明智光秀を討ち天下人へ。
二人がぶつかるのが小牧長久手の戦い、秀吉48歳、家康43歳

■色金山歴史公園(愛知県長久手市)

小牧山 Wikipedia

両者の勢力がぶつかり合う最前線でした。
・河出さん
「床机石」家康が腰掛けた石と言われています。
二人が戦うきっかけとなった事件が、本能寺の変です。
光秀を討ったのが羽柴秀吉です。
織田家にまで攻撃を仕掛け、すべてを秀吉に乗っ取られてしまう。
このとき立ち上がったのが、徳川家康です。
織田信雄と同盟を結び、秀吉と戦うことを決めますが大きな懸念が。
それは、大きな兵力の差でした。10万対3万、家康が目をつけたのが小牧山城でした。

■小牧山城

・千田嘉博さん(奈良大学)
小牧山城は、1563年に信長が尾張統一のために築いた城でした。
敵の動きを一望でき、濃尾平野を一望できる要の場所でした。
しかし大きな問題がありました。
最先端の城でしたが、小牧長久手の頃の石垣としては古かったのです。
高さ3m、とても防ぎきれません。
そこで、家康は城にある工夫をします。
人工的に作った空堀の跡で、6mありました。
土造りの鉄壁の要塞にバージョンアップしたのでした。
さらに山の外側にも空堀を築き、4kmの巨大な要塞に作り替えたのです。
ところが、敵は三河に兵を進めるという、三河中入りで三河を奪おうとします。
秀吉の真の狙いは別の所、鉄壁の要塞・小牧山城から家康を誘い出すことにありました。
秀吉は、家康を監視します。
籠城か、出陣か、絶体絶命のピンチに「どうする家康」
出陣じゃ、秀吉に気づかれないうちに城を出るというものでした。
秀吉の目をかいくぐる秘策がありました。

●家康が作った桝形虎口
小牧山城の桝形虎口は、不思議な構造をしていました。
発掘調査の写真には、3m以上掘り下げてありました。
周りを土手で囲まれている堀底を通路にすれば、外からはまったく見ない、空堀に繋がっていました。
4月8日小牧山城を脱出、三河中入り部隊に追いつき、4月9日長久手で敵を討ち倒しました。
最初の激戦は家康の勝利に終わりました。

●スタジオで
佐藤所長「防御のための空堀が結果的に抜け穴になった」
松本潤さん「四天王・重臣の活躍で勝てました」
もう一人のゲストが井伊直政役の板垣李光人さん
どうする家康 潜入調査

■どうする家康潜入調査

●撮影現場へ
板垣さんの井伊直政が指揮を取っています。
杉野遥亮さんの榊原康政、山田裕貴さんの本多忠勝がいます。

●スタジオで
家康の家臣団
酒井忠次、石川数正、本多忠勝、榊原康政、井伊直政
松本さん「小牧長久手の戦いでこの4人が大活躍したことで、後々四天王といわれてのではないかという説があります」
河合先生「井伊の赤鬼と言われ世間に広まりました」
織田信雄を支配下において、上杉景勝を従え、次なる激戦地となったのが信濃です。

■信濃・上田城

上田城 Wikipedia

家康は甲斐・信濃を支配することに成功
一方、秀吉は信濃にまで迫ります。
このとき家康が築いた防衛拠点が上田城でした。
・和根崎剛さん(上田市)
家康はこの城に、鉄壁の守りを施したと言います。
川から水を引くための「導水管」です。
この広い陸上競技場は水堀の跡でした。
「上田古図」(天正12年)
家康はこの城を強力な武将、知将・真田昌幸に任せます。
信濃の守りは完璧なはずでした。
ところが、天正13年(1585年)7月、真田昌幸が裏切ります。
裏で手を引いたのが、秀吉でした。
どうやって真田を寝返らせたのでしょうか?
「どうする家康」にはそのヒントが登場します。
ミステリアスな巫女・千代です。
日本各地を回る芸能集団が活躍しました。
・平山優さん
「春秋大夫という人物がいます」
「毎年信濃を訪れてご奉仕を受け取り、信者を連れて伊勢神宮に帰るという活動をしていて秀吉とパイプを持っていました」
信濃北部から秀吉が攻め込んでくる可能性が出てきました。
・平山優さん
「真田の勢力が的になり、下手をすると信濃を失いかねない危機感だったと思われます」
上田城を作ったのは家康本人、城の弱点を熟知していました。
守りが手薄な東側から攻め込みます。
しかし、予想外の事態が待ち受けていました。

●弱点の東側で何が起きたのか?
上田高校という学校があり、手前には水堀があります。
真田が造った出城だったのではないかと考えられています。
「上田古図」には2つの出城が描かれています。
家康に気づかれないようこっそり城を築いていたのです。
徳川軍は敗北、信濃の武将は次々に鞍替えしていきます。
絶体絶命のピンチ、「どうする家康」

●スタジオで
佐藤所長「寝返りはありますよね」
河合先生「信濃は最終的には家康が占領しますが、真田が秀吉がいいと寝返ってしまうのです」
松本さん「強国に囲まれてどこにつくのが若き家康の頃と似ています」
河合先生「秀吉には代々の家臣団がいなくて、親類縁者、ほかの大名の重臣を引き抜きます」
井伊直政にも強烈にラブコールを送っています
板垣さん「あざとい」
秀吉の力の秘密を探ります。

■大坂城を徹底調査

・跡部信さん(学芸員)
15年の歳月をかけ完成させた大坂城、豊臣家の滅亡により消滅しました。
現在見られる石垣や堀は徳川時代に再建されたものです。
秀吉の時代のほうが4倍の広さでした。
町を堀で囲まれた惣構の城、小牧長久手の頃に完成しました。
黄金の城です。
クイズです。
大坂城の別名とは?
①梅林城
②錦城
③太閤城

正解は②錦城です。
金城とかかれることもあるとか。
秀吉のすごい痕跡とは?
下まで7mほどあります。
もう一問クイズです?
穴の下にあるものは何?
正解は石垣です。
秀吉時代の石垣は地下に眠っているのです。
野面積みという当時最先端の技法が使われました。

・坂口さん(下水道課)
秀吉が作らせた「太閤下水」です。
秀吉は衛生的な大都市を築き上げました。

■天正13年(1585年)11月、大坂城

「家康を成敗する」(秀吉)
前田、真田、上杉が北から攻め込みます。
10万の軍勢が加わる大作戦です。
どうする家康?
松本潤さん「物事を思いついてから実行に移すまでのスピード感が力を持つことに比例すると思いました」
河合先生「誰が味方するのか、ふるいにかける意味合いもあった」

ーーーおわりーーー

次回は「家康VS.秀吉 どうする家康コラボスペシャル(後編)」8月30日(水)放送です。

■感想

真田昌幸、幸村は人気がある武将ですよね。
大河ドラマでもつい最近2016年の『真田丸』が印象的です。
どうする家康でもキーマンとして登場しそうで、楽しみです。
大坂城は、関西の要にあって上町台地が形成される突端の高台だったので、格好の防御地帯だったとか。
大坂城の前は石山本願寺、さらに昔には大化の改新後、難波宮が造営されていたとも言われています。
奈良が都として栄えたのも、大坂(難波津)から深く船で河川を通じて行ける利便性も一因の一つだったんでしょう。
涼しくなったら奈良、京都、大阪の旅をしたいと思いました。


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