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【感想】NHK 歴史探偵「江戸に届け!真夏の“氷”大作戦」を視聴しました
2023年8月2日(水)22:00~22:45、歴史探偵「江戸に届け!真夏の“氷”大作戦」を視聴しました。
<始まる前に>
かき氷がテーマということで、食文化が題材のようです。
<NHKのあらすじ>
加賀藩から江戸まで真夏に氷を運んだ氷献上に挑戦!
金沢から東京まで480km。
氷は溶けることなく無事届くのか?ハラハラ、ドキドキ、感動の歴史ドキュメント。
■再現!日本最古のかき氷 その歴史は1000年以上
■スタジオで
清少納言が書いた枕草子に出てくる「削り氷にあまづら入れて」
小刀で削ったツタの樹液で再現しました。
「氷室の節供図」富士山の麓で氷を将軍家や大奥に届ける図です。
宝永噴火(1707年)で氷を運べなくなり、加賀藩が氷の献上を行っていました。
総距離480km、金沢から氷を運ぶことが可能なのか検証してみました。
■検証!真夏の氷大作戦 金沢から江戸へ480km
昼夜を問わず4日で運んだと言います。
金沢で人力車を引いている現代の飛脚として自転車とリヤカーで3人が運びます。
●1日目
加賀百万石からスタート、富山県黒部市まで97km運びます。
倶利伽羅峠「源平倶利伽羅峠合戦屏風図」のように険しい急勾配な地形を登りきります。
●2日目
海岸線を進み、一気に南下、160kmの道のりです。
最初の難関、北陸随一の難所、親不知。江戸時代は波打ち際を進むしかありませんでした。
北国街道、別名善光寺街道を進みます。
荒井から関川にかけて勾配が激しくなり20km登りが続きます。
PM8:30 長野県境・関川の関所に到着。
五文坂は危険なため軽トラックで運びます。
■スタジオで
佐藤所長「4日でたどり着けるのか?正直無理なんじゃないかと思います」
河合先生「藩主は13日間かけて到着していました」
佐藤所長「夏に氷を作ることは可能なんでしょうか」
■どうやって真夏に氷を?古代の驚きの知恵
●氷室神社(奈良)
創建710年、夏場に氷の管理を担っていました。
・大宮守友さん
「ご祭神・闘鶏稲置大山主命という方が都祁の豪族で、氷が盛んに作られていたと日本書紀に書いてあります」
「日本書紀」氷室が作られていたと言います。
●都祁へ
・岡田忠弘さん
復元氷室です。
内部の温度は0度位、多くの氷が溶けずに残っているはずです。
小高い尾根の上に古代の氷室跡が残っています。
現れたのは巨大なすり鉢状の10mの穴です。
「長屋王家木簡」深さ一丈約3mと決められていました。
さらに尾根の上という立地も重要で、雨水の浸透を防ぐことができるのです。
■スタジオで
平安時代に毎日のように天皇に献上されていた氷のオブジェです。
河合先生「氷がたくさんできた年は豊作になると言われていました」
佐藤所長「氷は国を治めるために重要なアイテムでした」
■江戸の一大プロジェクト 加賀藩の氷献上
河合先生「最大の外様大名で幕府が危険視していた、将軍家に献上したとアピールしたとも考えられます」
●3日目
長野市、上田、軽井沢、高崎市に至る130kmの道のりです。
群馬との県境には最大の難所、碓氷峠が待ち構えています。
日本武尊も頂上を目指したと言われます。
PM5:10、1200mの県境にある創建1900年以上前の熊野皇大神社に到着しました。
●4日目
最終日、105kmに上り坂はありません。
480km走破、加賀藩前田家のあった東京大学赤門前です。
■氷はどうなった!?
■スタジオで
重い?
なんと、9.58kg、元は25kgありましたので、半分以上溶けてしまっています。
佐藤所長「どれだけ大変な思いをしたのか、夏の氷ありがたみを感じました」
ーーーおわりーーー
次回は「消えた原爆ニュース」8月9日(水)放送です。
■感想
なんだか民放のバラエティ番組のような内容でした。
そのため、興味の大半は倶利伽羅峠や親不知、碓氷峠に。
以前北陸に住んでいたので懐かしかったです。
東海道のように川で何日も止められることがない新潟・群馬ルートを選択したのは理にかなっていますね。
糸魚川静岡構造線を通りながらも、諏訪に抜けず、長野市・碓氷峠を目指すのはなるほどです。
それにしても到着して氷が残っていたのは驚きでした。
意外に残るものなのですね。