【感想と解説】NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第43回「資格と死角」
2022年11月13日(日)20時放送、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第43回「資格と死角」を視聴しました。
<始まる前に>
前回の放送は、1217年の出来事。
そして実朝暗殺の1219年まで2年、承久の乱までプラス2年、義時死去まで3年、結構時間がありますね。最終回まで残り6回じっくり楽しみたいと思います。
<NHKのあらすじ>
源実朝(柿澤勇人)に嫡男が誕生せず、後継者問題がくすぶっていた鎌倉。
そこに修行を終えた公暁(寛一郎)が帰還。
その胸には鎌倉殿となることへの強い意志を宿しており、乳母夫である三浦義村(山本耕史)と共謀する。
一方、義時(小栗旬)と実衣(宮澤エマ)も実朝の言動に不満を抱き、思案を巡らせていた。
そんな中、実朝の相談に対して後鳥羽上皇(尾上松也)から返事が届く。
これに政子(小池栄子)や泰時(坂口健太郎)は……
■プロローグ
京から頼家の残した子、公暁が戻ってきている(長澤まさみ)
「必ず鎌倉殿になってみせる、そのために戻って来た」三浦義村が必ず後継者の希望をかなえると返答しました。
---曲---
エバン・コール
■ナレーション(長澤まさみ)
嫡男なき実朝。
後継者を巡って思惑が入り乱れる。
もっとも鎌倉殿にふさわしい者は一体誰なのか。
■公暁と政子の対面
公暁は早速、政子に会いに来ました。
物おじしないところは頼家を思い出す、頼家より賢く、女で問題を起こすことはない。
跡継ぎのことで、公暁で決まりではないのかと話します。
公暁は「亡き祖父、亡き父の願いにそう、りっぱな鎌倉殿になります」と言います。
次の鎌倉殿は京から招くという義時の話を聞き、義村は西の奴らに乗っ取られると大不満です。
■実朝と対面
後継ぎは京都から招くと聞き、公卿は激怒します。
千日参籠を行っている間に、義村が説き伏せることになりました。
「千日参籠=外界との交流を絶ち、堂内籠もって神仏に祈る、出入りできるのは世話役の稚児のみである」(長澤まさみ)
■上皇から手紙が届く
実朝のもとに後鳥羽上皇から手紙が来て、新しい鎌倉殿が決まりそうです。
「なんとか止める手立てはないの。貧乏貴族の小倅を充てがわれては目も当てられない」(実衣)
「帝の子であれば納得する」(義村)
義時は、この話は断固拒むつもりでいます。
実衣は息子の時元をと考えますが、血筋では公暁のほうが上です。
■大江広元と政子
「今後もご自分の思った道を突き進みべきです」(広元/栗原英雄)
「頼りにしています」(政子)
大江広元を完全に信頼している政子です。
広元は目を患い姿を見ることができなくなっていました。
■宿老集合
腰を痛めている三善康信(小林隆)がやってきて全員揃いました。
13人の宿老、今は12人です。
突然、公暁がこの会議にやってきました。
「私は別当だ何が悪い」強引に参加します。
源仲章(生田斗真)から養子の件で話があるといい、すぐに実朝が話し始めます。
義時は何とかこの後継ぎの話を潰したいと考えています。
実朝はすでに決まったことだとそれには応じません。
養子は親王からふさわしい人を遣わしても良いと書かれており、そして上皇の子であるとのこと、義時にも反対するスキがありません。
そして、すぐに上洛したいという実朝に、義時は待ったをかけます。
政子が熊野詣のついでに上洛すると言い出しました。
藤原兼子が出てくるので女性同士話が弾むのではないか、大江広元のアイデアのようです。
三浦胤義(岸田タツヤ)に義村は「俺は諦めない、三浦が這い上がる好機だ、なんとかしなければ」親子の意見は一致しました。
■京都に着いた政子と時房
時房(瀬戸康史)は京に来る前、蹴鞠の練習をしていたようです。
元は伊豆の田舎娘、あなどられてはならないと慈円(山寺宏一)は兼子(シルビア・グラブ)に話します。
鼻をへし折った上で話しに乗ってやるのがコツと、慈円がアドバイスします。
そして、藤原兼子が政子と対面します。
口汚しの手土産として干蛸を持ってきました。
「坂東の習わしでは口が汚れるものを差し出すのか」(兼子)
たまには汚れたものを口にするのも良いのでは、と政子が切り返します。
「遠い坂東からよくやってこられました」
「地の果ての鎌倉から参りました」
何かと不穏な鎌倉に大事な親王様を差し出すのは不安と兼子はいいます。
雅成親王と頼仁親王の二人の候補がいると話します。
頼仁親王は実の息子と同じ、鎌倉に行ってしまうのは心配、帝は頼久様の兄上にあたるので、帝の妃が子を生むと、次の帝になることはない、と政子はほのめかします。
「兼子様は大事なお方となり、最高の礼を尽くしたいと考えております」(政子)
談判の最中、後鳥羽上皇に慈円は、時房にお会いになってはと提案します。
鎌倉一の蹴鞠の名手との噂、これに上皇は飛びつきました。
■トキューサ蹴鞠対決
いきなり蹴鞠が始まりました。
「見事じゃ」身分を隠して上皇が時房に蹴鞠を誘います。
「東夷にしては筋がいい」(上皇)
時房が、上皇だとは知らず、ふざけて肩を突くと、側近がやってきて捕らえられました。
「トキューサと申したな、いずれ勝負しようぞ。慈円僧正、親王を鎌倉に与える話、早く決めてやれ」(上皇)
■兼子と政子
「希代の悪女、鬼のような面相に違いないと思っていたが、政子どのには政子殿の立場があるに違いない。どこが鬼ですか。むしろ、東大寺の大仏様に似ておられる」(兼子)
■後継の決定
「実朝の将軍後継に頼仁親王が決まる」(長澤まさみ)
叙任の話しで、実朝は左大将に任じられることになり、右大臣の頼朝を超えました。
政子は従三位に叙されることになり、泰時は菅原道真公と同じ、讃岐守はどうかという話も出てきました。
源仲章が義時と一対一で話しています。
仲章は関白として政務を支えていくと話します。
「執権殿は伊豆ヘでも帰られ余生をすごされよ。私が執権になろうかな。ハッハッハ」(源仲章)
■泰時
義時は「讃岐守のことを断ってもらいたい」と泰時に依頼します。
「いずれお前は執権になる、私が目指していてなれなかったものになれる。必ずあの男が立ちはだかる、源仲章の好きにさせてはならぬ、借りを作るな」
「ご安心ください、ご辞退しようと思っていました」(泰時)
「親王を将軍とする件は受け入れることにした、人質として」(義時)
「目指していて、なれなかったものとはなんですか?」(泰時)
■のえと仲章の出会い
のえ(菊地凛子)は、源仲章に遭遇、桜の下で話し込みます。
お互い坂東の水が合わないことで話があいます。
のえは、生まれは遠江だけど、東国の水がなじまないといいます。
「雅さが漂っています」
■公暁の思い
義村が、公暁に会いに来ました。
鎌倉殿になる目が詰まれたことに無念だと返事します。
「何のために戻ってきたのだ」(公暁)
「若君が鎌倉殿になれば必ず災いが降りかかる、これでよいのだ」
病に倒れたと聞いている本当は何があった?
義時は、無二の友、仲間を売ることはできません。
義時が関わっていることを漏らします。
そして、事実を打ち明けます。
「あなたの父は北条の手によって殺されたのです」
幼い頃見知らぬ老婆が現れ、北条を許すなといった。
幼い兄もわずか6歳で殺された、北条を許してはならない、実朝もまた真の鎌倉殿にあらずと話します。「許せん!」
■まだ誰も知らない惨劇
4月29日、政子が鎌倉に戻ってくる。
実朝は政子にお礼を言います。
そして、左大将の拝賀式と直衣始めの儀式を鶴岡八幡宮で行います。
「7月8日、直衣始めの儀式が執り行われる。はじめて直衣をまとって参拝する行事である。半年後同じ場所で繰り広げられる惨劇、彼らはまだ知らない」(長澤まさみ)
----つづく----
次回は第44回「審判の日」11月20日放送です。
■感想
トキューサ出ました!
久しぶりのトキューサです。
りくに改名時トキューサと呼ばれて以来です。
さて、三浦義村のずる賢さはドラマとはいえ、すごいですね。
さらにそれを上回る悪女、義時の後妻・のえ。
いつの時代でも、暗殺はこうやって犯人が分らず有耶無耶になることが多いのが納得です。
共同謀議は、そう簡単には発覚しない訳です。
のえは義時の最期に関わってきそうな予感。
■勝手に解説
鎌倉幕府の成立に大きく貢献したのが大江広元です。
久安四年(1148年)に生まれ、嘉禄元年(1225年)に78歳で死去したとされます。
『吾妻鏡』によると、諸国に守護・地頭を設置したのも広元の献策によるものを頼朝が採用したと言われています。
そして、鎌倉幕府の一番重要な機関として政所が設置されますが、その長官である別当には、大江広元が就任しています。
ちなみに、問注所の長官の執事は三善康信です。
そして頼朝の死後、鎌倉殿の13人のひとりに取り立てられます。
義時と協力し、歴代の鎌倉殿の側に仕え、官僚のトップとして御家人からも信頼される実質ナンバーツーの存在となりました。
承久の乱の頃には、すでに眼病が進行し殆ど見えない状態だったと言われています。
戦国時代に中国地方の一大勢力となった毛利氏は、大江広元の四男で相模国毛利荘を領した鎌倉幕府の御家人・毛利季光を祖としています。