見出し画像

【感想】NHK大河ドラマ『光る君へ』第44回「望月の夜」

2024年11月17日(日)20時『光る君へ』第44回「望月の夜」を視聴しました。

<NHKのあらすじ>
道長(柄本佑)は公ぎょうらにも働きかけ、三条天皇(木村達成)に譲位を迫るも、代わりに三条の娘を、道長の息子・頼通(渡邊圭祐)の妻にするよう提案される。
しかし頼通はすでに妻がいるため、その提案を拒否。
道長は悩んだ末、皇太后の彰子(見上愛)に相談したところ…。
一方、まひろ(吉高由里子)は父・為時(岸谷五朗)から予期せぬ相談を受ける。
さらに源氏物語の執筆を続けていると、ある決意を固めた道長が訪ねてきて…


■プロローグ

■長和4年(1015年)

公任(町田啓太)、俊賢(本田大輔)が三条天皇に譲位を迫ります。

●ナレーション 伊東敏恵(NHKアナウンサー)
「譲位を迫られた三条天皇は次なる対抗策を打ち出してきた」

自分の娘である禔子を左大臣の嫡男・頼通の妻とさせたいと迫ります。
道長は、亡き具平親王の娘を妻としていると反論します。
帝は、頼通の嫡妻となればよろこばしいと述べました。
頼通は嫌だときっぱりはねつけ、隆姫を連れて都を出て二人で生きていくとまで言い放ちました。
道長は半月を見上げ、まひろも同じ月を見つめました。

---音楽---
冬野ユミ

---テーマピアノ演奏---
♬反田恭平

■土御門殿

(ナレ)
「彰子は高倉殿を出てこの時期は土御門殿に移っていた」

彰子は禔子がかつての自分のようで気の毒で、男の道具にし、女の心を考えたことがあるかと問いかけます。
妍子は酒に溺れる日々だとも。
彰子は、この婚儀は誰もしあわせにはしないと胸を張って断ればいいと話しました。

●妍子
妍子(倉沢杏菜)は娘の禎子と一緒です。
道長は妍子に会いますが、冷たい態度で接しています。

●譲位の件
婚儀の件を帝に聞かれた道長はまだ頼通に会えていないと逃げます。
三条天皇は、道長に政を委ね、左大臣のまま准摂政になれと迫ります。
病になって時間を稼ぐしかない、内裏中に伊周の怨霊による病の噂を流すように命じます。
文句を言うなと大声で頼通を黙らせ、教通(姫子松柾)に命じました。
宮中にその噂が広がりました。
万策尽きたかと嘆いていると、実資(秋山竜次)が奥の手、東宮に敦明親王を立てれば譲位しようと言えと提案しました。

●三日月の夜
帝はすすり泣く娍子(朝倉あき)を譲位するときは敦明が必ず東宮になると慰めました。

(ナレ)
「敦明親王を東宮とすることと引き換えに三条天皇は譲位を承諾した」

■長和5年(1016年)

(ナレ)
「翌年、大極殿において後一条天皇の即位式が執り行われた」
「道長は幼い後一条天皇の摂政となって、名実ともに国家の頂点に立ち、彰子は国母となった」

即位した後一条天皇(橋本偉成)と彰子は国母となって居並びます。
穆子(石野真子)は、我が家から帝が出るなんて、道長は大当たり、自分に見る目が会ったと笑って言いました。

●為時
為時は、そろそろ出家しようと思う、余生はちやはと惟規の弔いをしながら過ごしたいと話します。
しかし、寺にはいかないとも。
賢子(南沙良)には内裏に行くことは考えないのか問いかけます。
まひろは、為時に長い間ご苦労さまと感謝の意を伝えました。

■内裏では

後一条天皇は、道長の言われた通りの言葉を発します。

顕光(宮川一朗太)が意見を述べています。
公季(米村拓彰)は道綱に話を振って逃げます。
道綱(上地雄輔)はいつものようにはっきりしません。
公任は陣定がないと筋が通らないのだろうが、左大臣を辞めろと意見します。
道長はその言葉を重く受け止めました。

(道長の声)
「何度も先の帝に譲位を促したが、今度は俺がやめろと言われる番なのか・・・」

●暮れの挨拶
物語を執筆するまひろです。
そこに道長が現れました。
摂政と左大臣を辞めることを打ち明けます。
まひろは、民の心を思いやる心は伝わっているのか?
道長は物語は人の一生は虚しいものだと言っているではないかと問いかけます。
一人で成せなかったことも、時を経ればなせるかもしれない、それを念じていると答えました。
道長はお前だけは念じておいてくれと言いました。
そこに倫子が現れ、政の話は藤式部には話すのかと皮肉交じりに言いました。

●物語執筆の依頼
倫子はまひろに、道長の華やかな生涯を書物にして残したい、書いてほしいと依頼します。
まひろは、返事せず受け止めました。

■寛仁元年(1017)年

●頼通摂政に

(ナレ)
「そして、頼通が後一条天皇の摂政となった」

頼通の摂政就任の祝の宴が行われます。
教通、嬉子(太田結乃)、威子(佐月絵美)も揃っています。
頼通は、早速、威子に入内しろと命じます。
びっくりする威子、帝は10歳、自分は19歳だと述べています。
嬉子は自分がいくと帝の1つ上だからと。
威子は嫌だと言います。

(ナレ)
「翌年の春、威子は後一条天皇に入内した」

■危篤の報せ

百舌彦(本多力)が三条院が危篤との知らせを道長に伝えます。
危篤の三条院を子の敦明親王と妻・娍子(朝倉あき)が見守っています。

(ナレ)
「時勢に翻弄され続けた三条院は42歳で世を去り、後ろ盾を失った敦明親王は自ら申し出て、東宮の地位を降りた」

「そして、道長の孫であり帝の弟である敦良親王が東宮となった」

敦良親王(立野空侑)が東宮になりました。

●道長の世到来

「それから1年、彰子は太皇太后、妍子は皇太后、威子は中宮となり、3つの后の地位を道長の娘3人が占めた」

■祝の宴

彰子、妍子、威子が居並ぶ前で、道長は喜びの祝福の言葉を淡々と述べました。

「この夜、威子が中宮となったことを祝う宴が土御門殿で催された」

●望月の歌
公卿たちが参加し頼通、教通が踊る舞を鑑賞し、歓談してます。
遅れてまひろもやって来ました。
実資が道長の元へやって来て、摂政に盃を勧めてくれと命じられました。
頼通が実資の盃を飲み、太閤(道長)の盃だと言いを差し出しました。
順に教通、顕光、道綱、斉信(金田哲)、公任、俊賢、行成(渡辺大知)に盃が回ります。
道長は庭に出て実資を呼び、今宵は誠に良い夜だ、歌を読みたくなったといい、返しの歌をもらいたいと依頼します。
満月が出ています。
「この世をば わが世とぞ思う望月の かけたることも なしと思えば」
実資は返す歌はない、元稹が詠んだ歌に白楽天は深く感銘を受け返歌できず唱和したと返しました。
実資は皆で唱和しようと声をかけ、望月の歌を全員で唱和しました。
「この世をば わが世とぞ思う望月の・・・・」
まひろを見つめる道長、まひろも感慨深げに思いふけっています。

(引用)
道長自身は『御堂関白記』において歌を和したことについては記しているが、内容については残していない。実資はこの歌そのものに対しては否定的な意図や反応を示した訳では無い。しかしこの歌は「この世は 自分のためにあるようなものだ 望月のように 何も足りないものはない」と解釈され、後世において道長の奢りの象徴であるとして批判されることとなった

Wikipedia


----終わり----

次回は 第45回「はばたき」11月24日放送です。

■感想

タイトル通り、望月の歌の回となりました。
小右記などの史料に基づいているけど、しっかり番組の考えを入れいていてバランスの良い仕上がりでした。
このあたり、脚本や演出の醍醐味であり、楽しめました。
前回の大河に比べ、歴史マニアにも楽しめる内容になっているのは、良かったと思いました。
前回は酷かったから。。。
今回は、一気に3年経過させました。
次回は出家となりそうなので、これである程度、道長の経歴は描ききったのかな。
残り4回、まだまだ楽しめそうです。
特に赤染衛門に託したのではないかと推測される道長の伝記についてのエピソードが気になりました。
賢子のその後とか、宋の周明とか気になりました。
また、道長の娘・威子と妍子の話もありそうで、エピソードには事欠くことはないですね。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集