最も衝撃的な事例。崇神天皇6年、三輪山麓の天皇宮殿に、祖神として二神が祀られていた。天照大神と倭大國魂神の同床共殿。天皇家祖神の為、控え目の記録だが、飢饉疫病が襲う。崇神天皇は二神を異常に畏れ、それぞれの大神を天皇のシャーマンの娘達に託し、宮殿の外にお移ししようとした。(明治天皇以前の天皇は、天照大神の宿る八咫の鏡を心底恐れ、自らは一切、伊勢に参拝されなかった。) まずは倭大國魂神をヌナキイリヒメノミコトに託したが、ヒメは髪が抜け痩せ細り、この神を祀る事ができなかった。●天照大神を託されたトヨスキイリヒメノミコトが御杖代として一旦、天照大神を奈良に祀るが、大神からここではないとされ、52年間祀る事ができなかった。高齢のトヨスキイリヒメノミコトに代わり、ヒメに仕える倭姫が、大神の御杖代を引継ぎ、天照大神とともに各地を経巡る。各地21箇所に大神を遷座させつつ、最後に伊勢の地に至る。この大巡礼は単なる聖地探索の旅であったのだろうか?いや、この旅そのものが、大神の癒やし難い苦悩を癒やし、再び岩戸からお出ましになる為の神事そのものであったのではないか。各地には朝廷が攻め滅ぼし、國や民、神や信仰まで改変して奪われた氏族部族の怨霊神や、虐げられる被征服民が、天照大神の御杖代のシャーマン姫と天照大神を待ち受け迎え、何事かを祈り願ったに違いない。●この大神の癒やし難い苦悩とは、a.自らが攻め滅ぼし國、民、名誉全てを奪った氏族とその神々からの祟りを受ける苦悩。b.真逆の立場で、自分の名前、國、民、氏族神を、簒奪され、子孫を絶やされ、全てを乗っ取られた壮絶な怨み。●この旅は大神と各地の民、氏族の再会の旅だったかもしれない。汚れ、罪の無い無数の人々の意識には怨霊神をも癒やす量子の大津波が寄せては返す、神々の住まう場所は実はそこだったと。平安・中世以降、シャーマン達は、歩き巫女渡り巫女として、禊、払い、口寄せ、神憑りの業をなしつつ、無数の人々の中に入ってゆく。それはユダヤの預言者、エレウシスやデルフォイの巫女に匹敵する偉大な、量子大津波の寄せては返す世界。