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第38回「イタリア縦断記 その6」目指せニューシネマパラダイス

「真のナポリピッツァとは何か」

 

 イタリアのピッツァはどこでも美味い。北のピッツァは生地が薄くてカリっとしてて、南のそれは生地が厚くてこれまた美味い、というのは間違いではない。けれど、イタリア人なら口を揃えて「ピッツァを食べたいのなら南イタリアのナポリに行くといいよ」というだろう。要はピッツァは郷土料理であり、ナポリの誇りそのものなのだ。ミートソースならボローニャ、イカ墨ならヴェネツィアといった風に…。

 さて、僕が教えてもらったナポリピッツァの厳しい掟にはいろいろあるが、僕らの失敗談からお話していきたいと思う。

ナポリ~上から見るか、下からみるか~

 まず体はへとへと、お腹もペコペコな状態でピザ屋に行ってはいけない。有名店は並ばなくては入れないから。下手すると二時間待ちなんて良くあるらしい。もちろん地元の人が日常行くお店にはそんなことはないけれど、ガイドブックに載っているようなお店には覚悟がいる。

 「でも僕らは大丈夫、だってママからの紹介があるんだもん」とタカをくくっていったが、結局一時間くらいは待つこととなった。紹介された「ミケーレ」という超有名店、もちろんママの名前を出したことで親切にしてくれたことは間違いないんだけれど、基本的に彼らは「ゆっくり」なのだ。イタリア全土でこれは言えることだけど、南に行けば行くほどその傾向は強い。心を落ち着かせる大切な呪文「ピアノ・ピアーノ(ゆっくり)」を、ここでもまた唱えながら僕らはじっと待つ。 

有名店には予約は必須です!

 食べたらびっくり。「んま~い♪」と、テーブルは瞬時に嬉しい驚きと幸せな空間に様変わりする。子供たちも余りの美味さにピッツァを落っことしそうになった程だ。来れば分かる!誰しも今まで食べてきたピッツァは何だったんだろうと思うはずだ。

 そして、ピッツァは一人一枚食べるべし。日本人のようにシェアしたりせずに、頼んだものを黙々とナイフとフォークで頂く。大きく厚いピッツァを綺麗な女性もペロリと食べる。テイクアウトのピッツァは四つ折りにして手で頂くのが基本だ。

 

 さて最後に、もう一つうんちくの紹介を。ピッツァの歴史は思ったほど古くはない。それらしきものが誕生したのが十七世紀の中頃。今のピッツァが生まれたのは、漁師たちの要望でトマトソースをぬり、オリーブオイルをたっぷりかけた「ピッツァ・マリアーナ(漁師のピザ)」が始まりだという。元々ナポリは色々な国に支配されてきた歴史があるけれど、当時スペイン領だったことでトマトがこの地に入ってきたという背景。決め手はこのトマトソースに他ならない。二十世紀にはピザ職人たちが結束し「真のナポリピッツァ協会」を立ち上げて鉄の掟をつくりながらその伝統を守っている。

 有名な「ピッツァ・マルゲリータ」は十九世紀半ばに王妃マルゲリータに三種のピッツァを献上したことに由来する。具材はバジリコ(緑)、モツァレラチーズ(白)、トマト(赤)とシンプルで、イタリアの国旗を思わせることもあって全土に知られることになったそうだ。ワインとチーズは旅をさせるなと言われるのも納得!出来立てが命のナポリ特産モッツァレラチーズはふわふわで、牛乳のコクが口の中に広がってチーズっぽくはない。でもね、「うんうん、本物はこれなのか、こういうことなんですね」と思わず何度も頷いてしまうのだ。だから旅はやめられない。本場をかじって持ち帰る、お土産の意味というものは大きいと思う。 

憧れのポンペイ

「ポンペイには行きたいの…」

 明日はナポリを拠点に半島を巡るつもりだ。

日奈子がどうしても訪れたいというポンペイの遺跡群がある。更にイタリア人にとっても憧れの地ソレントにも行かねばならないだろう。宿も確保したし、お腹も満たされたから今日はゆっくり眠ろう。夢も見ずに深く眠るのだ。

  薄暗くなってきた帰り道、旧市街を歩くと地元の若者たちが群がってサッカーボールを蹴っている姿が見えた。周りで大人たちは大声で井戸端会議をしている。ナポリにはスリやジプシーも多い。ヴェネツィアの安全な街でぬくぬくと暮らしている僕らは改めて気持ちを引き締めて直す必要があった。

「もし、この街で暮らしていくことになったらどうなんだろう…」、そう日奈子と話しながらゆっくりと歩く。それでも多分、僕らは楽しみながらしっかり生き抜いていくのだろう。僕らもこの半年でタフになってきている。「それもまた面白そうだね、ヒロ」と言って日奈子は僕の手をそっと掴んだ。

 

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