賢治の早池峰とチベット・カイラス
こんにちは。只今テスト運用中の「早池峰と賢治の展示館」ファンページ(非公式)です。
このページは、岩手県花巻市大迫地域にある「早池峰と賢治の展示館」を「勝手に」応援するページです。 という訳で、ページの中身は、「早池峰と賢治の展示館」の公式の見解とは無関係ですので、よろしくお願いします。
ただいま、テスト運用中なので、色々とお許しを。
今回も、「早池峰の信仰」についての続きです。前回のリンクを下に貼っておきますね。
賢治の口語詩の中には、「阿耨達池幻想曲」と言う不思議な題名の詩があります。
https://ihatov.cc/kogo/384_d.htm
この「阿耨達池(あのくだっち)」とは、チベット高原に実際に存在する「マナサロワール湖」のことだとも言われ、この「マナサロワール湖」の近くには、聖なる山「カイラス山」があります。
カイラス山は、仏教、ヒンドゥー教などの聖地で、特にチベット仏教ではその世界観の中心である「須弥山」と同一視されるほど重要視されています。この山の周囲には「五体投地」という、体全体を地面に投げ出す礼拝方法で巡礼する、信仰に厚い人々までいるほどです。
そして、賢治は本などで「マナサロワール湖」や「カイラス山」などについて読み、この信仰の地に憧れ、自分で訪れることは叶わないことから、「早池峰」を「カイラス山」に見立てていたのではないか、と語る人もいます。
賢治作品には「シャーマン山」と名付けられた山が登場しますが、その「シャーマン山」のモデルとなった山の1つは、早池峰とも言われています。シャーマンとは、呪術者や祈祷師などの信仰を司る人々のことです。
また、賢治が早池峰に登った際、お経が中に入った入れ物が埋められているのを見た、とも言われており、入れ物の中にお経を入れて、山などに埋めるという信仰の形は、平安時代などの昔から行われていました。経典が埋められた場所を「経塚」と呼んだりしますが、岩手県内にも「経塚山」と名付けられた山があります。
そして、お経が中に入った入れ物が埋められているのを見た経験が、賢治が亡くなる前に、「経埋ムベキ山」という、岩手を中心とした山々にお経を埋めようと考えたことに繋がっているのかもしれません。
ただ、実際に賢治が自らお経を埋めたかどうかは様々な説があるようで、体調を崩しがちだった亡くなる前の賢治が、お経が入った入れ物を持って山に登るのは難しかったのかもしれません。晩年の賢治は、早池峰の土性調査が終わった時に、「(体調がすぐれず)もう山は歩けない」と漏らしていたとのの話もあり、体力的に厳しかった気もしますが、皆さんはどう思われますか?
早池峰と賢治の関係については、はっきりと記録が残っていないことも多いのですが、これまで見てきたような、早池峰が持っていた信仰的な意義、そして賢治の信仰に対する並々ならぬ興味を考えると、賢治と早池峰の関係や、早池峰の信仰の歴史は、興味深いものがあります。
もしかすると、そういった記録や記憶も、いつか消えていくのかもしれませんが、少しでも記録や記憶が残り、一人でも多くの人の目に触れることがあれば、とも思うのです。
そういった意味でも、花巻市の大迫地域にある「早池峰と賢治の展示館」は、他では見ることができないような様々な展示物がありますので、ぜひ足を運ばれることをお勧めします。
このページでは、これからも少しずつ「早池峰と賢治の展示館」についてご紹介していく予定ですが、話が脱線しがちですので、そのあたりは許してくださいね。
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