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いじめがエスカレートして新聞沙汰になった話♠️学校や会社でのいじめの正体と対策!

(はじめに)

小学生の時は担任の先生からの体罰、中学では入学式当日に自転車を壊され、学校がイヤになった。しかし、中学2年の秋にいじめがピークになり新聞沙汰の事件となったことで終結した。今回はこの体験から学んだこと、いじめの正体と対策を書きたい。また、これは学校での出来事だが、会社でのパワハラや原理は同じなので、この記事が参考になるかもしれない。

○この記事では一部描写がきついかもしれないのであらかじめご了承ください。

また、前編の「もし我が子がいじめられていたら?」についてはこちらをどうぞ。


♠️ ついに新聞沙汰になった事件


いじめや嫌がらせは
何も手を打たないとエスカレートする。

中学生活の初日、入学式から
スタートした嫌がらせは中学2年の
2学期にどうにもならないところまできた。

先生にも親にも言えず、
ずっと一人で抱え込んできたのだが、

「我慢の限界だ」

と思うようになった。


そこで、

「自分の身は自分で守るしかない」と思い、

ある計画を実行した。

ところが、

その計画の途中で事件が起きてしまった。

それが「新聞沙汰になった事件」である。

どういうことかと言うと、

嫌がらせをしていた連中が
5人いっぺんに
突然失踪したのだ。

消えたのである。


夜中に大騒ぎになった。

警察、消防団、地域住民がたいまつを持って
近所や川、山などで、その連中を探している。

八つ墓村の映画のようだった。

我が家にも連絡がきて、
父親が捜索に参加するように頼まれ
出かけて行った。

その夜は発見されず、捜索は続いた。


翌日、学校へ行くと

確かに「彼ら」の姿はなく

「失踪の話」で持ちきりだった。

警察も中学校に来た。

「何か知らないか?」と聞きに来たのである。

「誘拐」か「殺人」かはっきりしないが、

事件性も否定できない。

手がかりを探していたのだろう。

「安心してください。僕はやってませんから」



数日後、山の中で彼らは見つかり

保護された。


失踪は「集団家出」だった。


田舎では大きな事件だったので

新聞には「なぜ少年たちは家出したのか?」

という大見出しで記事となった。

失踪したのは5人、

僕に嫌がらせをしていた同学年の
5人のうちの4人と県外から働きに
来ていた「社会人」1人、計5人。

「なぜ社会人がいるのか?」だが、
この社会人は、自称空手の有段者で

いじめグループに空手を教えて
僕をやっつけようとしていた人間である。

だが、僕はこいつとはなんの面識もないのだ。

まったくもってワケがわからない話である。

「だれ、おまえ?」と言いたくなる。

なぜ連中が空手を習っていたかというと、
僕が少林寺拳法をやっていたかららしい。


僕が少林寺拳法を始めた理由は、
ブルースリーに憧れたから。

そして、何かと絡んでくる連中がいたので
護身術として身を守ろうと思ったからだが、

連中は、こっちに対抗するために
空手を知ってるというその社会人に
空手を習いに行っていたのだ。

そして、

その社会人もいじめに乗り気になったという
あほらしい話である。「なんのこっちゃ?」だ。

社会人がそんなことに加担することに呆れる。

ましてや、一緒に家出?

理解不能である。

♠️ いじめを断つための計画

その計画とは、

いじめグループの一人一人と対峙して
こちらに2度と手出しをしないよう

「誓約書を書かせる」ことだった。

まずは5人のうち一人目の少年Aに決めた。

嫌がらせに耐えられなくなった僕は
年末が近づく頃、学校帰りの夕方、

少年Aの家に行った。

正確には、

Aの家から約100メートルの

ところに待っていた。

できれば、

争いは避けるほうがいいが

自分を守るためにやるしかない。

そのため、

「一対一」のタイマンで

カタをつけたかったのだ。

学校や学校の近くでは人目もあるし、

5人集団なのでやりにくい。

しばらく待っていると大人が来た。
田舎なのでここは人家は少ない。

「ひょっとして少年Aの父親かもしれない」

そう思ったので尋ねてみるとそうだった。

Aの父親に、

いじめがあること

嫌がらせが手がつけられない

ところまできたことなど

僕は今までの経緯を説明した。

そして、

「お宅の息子と話し合いカタをつけたい」

「これは子供のケンカなので、

手出しはしないでもらいたい」

と申し出た。

すると、意外にも

Aの父親は承諾した。

「父親は男気があり話がわかるのに

息子はなんで違うのだろう」と思った。


すっかり暗くなり、8時を過ぎた頃に

誰かが見えた。

Aである。

近くまで来て、こちらに気づくと

一瞬足が止まりそうになりながら

また歩き始めた。

かなり驚いた様子だった。

まさか日頃自分がいじめてるヤツが
一人で家まで乗り込んでくるとは

思っていなかったのだろう。


実際、僕はそれまで何をされても

何も言わず、何もしなかったので

コイツには何やってもいいと思っていたはずだ。

しかしこっちも人間である。

悲しいという感情も辛さも感じる。

僕はAに問いただした。

「なぜここまで嫌がらせをするのか?」

「ここまでやる必要があるのか?」

こっちはAに何をしたわけでもない。

一緒に遊んだこともない。

Aは、しどろもどろで

訳のわからない言い訳をしていた。

そう、なんの義もない。

ただの憂さ晴らしなのだから。


こちらが嫌いならそれでいい。

研究でも発表されたが、
何をやっても2割の人には
好かれないらしい。

それはいっこうにかまわないが、

人の自転車を壊したり、
トイレを邪魔したりはやりすぎだ。

しかも集団で。

結局、Aと話しても埒があかず

殴り合いになった。

空手を習っている割には

大した突きも蹴りもなく

そこにいるのは学校でふてぶてしく
威張っているAではなかった。

Aの攻撃といえば

僕の右手の親指に噛みつくことだけだった。

爪が割れてまあまあ出血したがその程度である。


「ああコイツは一人きりになると
何もできない。本当は弱いんだ」と思った。

Aに謝罪させ、「2度と手は出しません」という
誓約書を書かせ、僕の右手親指から出ている血に
Aの右手親指をつけ誓約書に押させた。

血判書である。(計画にはなかったのだが)


こうやって一人目の少年Aは終わった。

あと残り4人と社会人1人だ。

そう思い、帰ろうとしていると

僕の父親が軽トラで探しにやってきた。
なかなか帰ってこないので迎えにきたのだ。

僕は今日ケンカをしに行くとは
親にも誰にも言わなかったが、

母親は朝、僕のいつもと違う表情から
何か感じとったようだった。

自転車を軽トラの荷台に乗せ、家路についた。

父親は「ケンカしたんか」と尋ねたので
僕は少し頷いただけであとは会話はなかった。


翌日、学校に行くと

少年Aが手のひらを返したように
「おはよう」と挨拶をしてきた。

何かと機嫌を取ろうとしている。

「調子のいい野郎だ。
こんな人間は信用できん」と思った。

たぶん親からもこっぴどく怒られたのだろう。

その日は、

いじめグループの誰も

僕に近づいてはこなかった。

少年Aから昨日の出来事は聞いただろうから。

久しぶりに平穏な1日であった。

「やはり静かな日は良い」

AもAの親も学校には何も言わなかったようだ。

なんせ言ったら、

これまでの彼らの悪行がバレるので。

こちらもそれのほう好都合だ。

誓約書を書かせるのは

「あと4人と社会人1人だ」

と思っていたら

数日後、その5人が失踪したのである。

補足:彼らが警察に保護された後わかったこと
◎自称空手有段者のあの社会人は有段者ではなく
空手の道場にも通ったこともなかったそうだ。

◎事件後、いじめグループのリーダーが謝罪の
電話をしてきた。少年Aのように家に来られる
のだけは避けたかったのだろう。

会社でいじめを受けているなら、いじめをしている輩の家の前でタイマンはるなり、「いじめをしません」という誓約書を書かせるのは大変かもしれない。

だが、言いたいのはそういう輩一人になると、結構もろいし気が小さいということ。


♠️伝えたい!「イジメの正体と対策」

この事件を通してわかったのは次のことである。
(あくまでも自分の意見なのでご了承ください)

「弱い者いじめ」といえば、

「強い者」が「弱い者」をいじめる感じがする。

しかし、本当にそうか?

「いじめ」というのはたいてい

いじめられているのは一人、
いじめるほうは集団でくる。

強いなら、一人をいじめるのに
5人とかで攻撃しないだろう。

たとえば、ボクシングの試合でも1対1が
当たり前だが、1対5ではフェアではない。

弱いから大勢でやろうするのでは?

かたや、いじめられる方は一人で耐えている。

「どっちが強いのか。」そう考えると

「一人では勝てないから集団で来る」

構図ではないか。

つまり、

「弱い者いじめ」ではなく

「強い者いじめ」なのだ。


そもそも、

本当に「強い者」がいじめをするだろうか?

たとえば、

スーパーマンは他人をいじめないだろう。

スーパーマンは同級生のトイレの邪魔をしたり、

教科書を破ったりはしないし、

脅し、カツアゲのたぐいもしない。

スーパーマンが

「オイ、今、肩触れただろうが。
オラオラ、金出せ、このやろー」と言うのは

想像しがたい。

なので、

「本当に強い人はいじめをしない!」



次に思ったのは、

幸せな人はいじめをしないということだ。

今、「わあい、とても幸せ♪」という人が

「コイツをいじめてどん底に落としたれ」

と思うだろうか?


その逆で、幸せな人なら

「幸せのおすそ分け」をするだろう。

つまり、

不幸な人間がいじめに手を染めるのではないか。


さらに、

「好きなことに夢中になっている人は
いじめの時間などない。」

アメリカメジャーリーグの大谷選手は
大好きな野球に夢中になっていて、

ほとんどの時間を
ワールドシリーズ優勝のために
時間を注いでいる。

大谷選手が、
他人をいじめることに
貴重な人生の時間を割くだろうか?

「ないだろう」


これらのことを考えて

導き出された結論がコレだ。

強くて幸せで何かに夢中になっている人は

いじめをしない。


いじめをするのは

「弱い」「不幸」「ヒマ」を
こじらせている人間だ。

↑これが「いじめの正体」である。

会社でパワハラやいじめをする

同僚、上司も同じである。


この「いじめの正体」を

学校の先生や校長先生に

ホームルームや朝礼で話して頂きたいくらいだ。

会社の朝礼でこれを言ったら

さぞおもろいだろうが。


♠️いじめを減らすには?

(これも自分の考えだが。)

僕がやった「いじめグループ」の一人ずつに
「2度と手出しはしません」と誓約書を
書かすのはリスクもあるので手放しには
おすすめしない。

そこで提案したいのはこちら↓

「いじめの正体」をみんなで共有することが
いじめを少なくできるのでは!
と思う。

つまり、

学校でも会社でも

もしあなたがいじめを見たら、

「あっ、弱くて不幸でヒマな人が
大勢で1人に嫌がらせをしてる!」

と思って「いじめグループ」を

冷ややかな目で見るのはどうだろう。

(逆ギレされないように目は合わせない
 ようにしたほうがいいが)


いじめられている人を助けようとすると

あなたも彼らのターゲットになるかも

しれないのでそこまでやるのはリスクがある。

でも、

クラス全員が、学校全体が、

「いじめの正体」を理解し、

「集団でいじめる側が哀れでダサい」

「実は強くもないし、尊敬できない人間」

そう思うだけでも

その場の雰囲気はだんだん変わるのではと思う。

なぜなら、

「人間の心」を持っていたら、

冷たい視線だらけの中で

ひどいことはしにくいからだ。


◉逆に今、誤っていじめをしているなら。

あなたが「骨の髄」から極悪人でない限り、

いじめを「心の底からしたい」

とは思わないはずだ。

なんらかの原因で、やっちまってる。

それは親か、家庭か、社会に対してなのか

何か知らんが「深い不満、不足感」がある。

でもそれはいじめをしても解決しない。

一瞬うさばらしができても

根本的な解決にはならない。

解決できるとしたら、
自分と向き合うしかない。

自分の外に答えはない。

自分の不満、不足感はどこからきてるのか?

「よく考えてみたらどうだ」と

僕は当時のいじめグループと

あの社会人に言いたい。

「君らも僕も本来はもっと幸せで

平和であっていいのだから」


ということで、

いじめがエスカレートして
新聞沙汰の事件になったことと
いじめの正体と対策を書いた。

長い記事にはなったが、
どうしても伝えたいことだった。


♠️【重要】自分の命を守ろう!


僕は小学校さえ苦手なのに

無理して学校に行き

ますます学校がイヤになり

親にも言えず一人で抱え込んだ。

「学校に行きたくない」

「先生からの平手打ちが痛くて怖い」

「嫌がらせを受けてツライ」など

何ひとつ誰にも親にも言えなかった。

中学のいじめは事件後収まったが、

無理して我慢しすぎた反動で、その後

不登校どころか中退複数となった。

ここまでエスカレートしてしまったのは

僕が「我慢しすぎた」ためだと思う。

小学校の時に「学校に行きたくない」と

言って理由も伝えておけば

誰かが助けてくれて

中学初日の「自転車破壊事件」も

中2の時の「新聞沙汰事件」も

なかったかもしれない。


そういう意味では

自分で引き起こしたとも言える。


とはいえ、もし

嫌がらせやいじめを受けているなら

どうか一人で抱え込まず

親でも誰でもいいので

近くにいる

信頼できそうな人に助けを求め、

「今起きていること」

ツライとか悲しいとか「本心」

打ち明けてみるのはどうだろうか。


確かに、打ち明けるのも勇気がいる。

「親に心配かけたくない」

「いじめられてると言ったら、

親に弱くて情けないやつと

思われ嫌われるかも」

「親がわかってくれずに

とにかく学校に行けと

言われたらどうしよう」

そう心配するかもしれないが、


自分の経験上、後々のことを考えると

助けを求めたほうがいいと思う。


親は、

あなたが

弱かろうが強かろうが、

出来が良かろうが悪かろうが、

「生きていてくれたら

それでいいのだから」


親は、

本当は

「どんなあなたでも好きなのだ」



最後まで読んでいただき
ありがとうございました。

Thank you for reading!

Have a wonderful life!

You deserve it.

あなたは幸せに生きるに値する!


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