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うつ病がアルコール依存症予備軍(自称)だった私を救ってくれた、と思っている

あなたはうつです、と告げられた日からお酒と距離を置いている。
もう9ヶ月になる。
それまでの私は日々の晩酌が生き甲斐だった。
20歳から飲み始め徐々に習慣化し汗と涙の約20年。
お酒なくして人生を語れないほど常に隣にあったと言ってよいだろう。
休肝日は週に1〜2回。意識して作らないと何日も飲み通しということも珍しくなかった。

この記事では私が「お酒飲みすぎていたな」
「うつのおかげで良いことがあった、
それはお酒と自分の距離を取ることができたこと」と
はっきり自覚するまでの過程を記録していきます。


飲みたいと思わないという都市伝説

例えば妊娠をした人の口から聞いたことがあるかもしれない。私は女性で出産歴はないが本当に?そう暗示をかけているんじゃない?と半分疑っていた。
だがうつ病にかかっている自分の率直な感想としては同じく
「飲みたいと思わない」のだ。
この一言に集約されてしまう。

もう少し丁寧に説明すると、副作用が強く出るのが怖くて飲みたいと思わないのだと思う。
変なすれ違いは避けたいので明確にしておきたい。
事実としては
・数ヶ月に1度くらい、1〜2杯の機会飲酒はする
・唐揚げ、餃子、焼き鳥を食べるとき、金曜夜の新橋のガード下を通ったり、ビールフェスの広告を見ると「私も一緒に飲みたい😫」という気分にはなる

うつから来る身体症状が強い

吐き気や頭痛、動悸、食欲減退など色々体に症状が出ていることが多かった。
そこから更に飲酒する元気が残っていないことも影響しているだろう。
そんな体質もあってか、イフェクサー、トラゾドンは吐き気や痺れ、手の震えなどの副作用が酷く途中で服薬中止。

今はリフレックスという抗うつ薬を飲んでいますが
これを飲んだ翌早朝も酷かった。
迷走反射神経のような状態になり、自宅なのに動悸息切れ吐き気、冷や汗と腹痛で這いつくばり、これは救急車か…?!と一瞬頭をよぎったほど。

こんな状態でアルコールが今体内に入ったら、一体どんな惨事に見舞われるか怖くなるのです。

楽しき飲酒の日々

35歳あたりから急激にお酒に弱くなっていたことを自覚している。
それまでは350mlのビールをまず2缶は料理をしながら余裕で空け、3缶目に手が伸びるのをやっとの思いで我慢。
前菜が2品ほどできたところでテーブルワイン。

酒によく合う自家製つまみをひとり味わいながら安めのでもそこそこ美味しいワインを2〜3杯までは定期。
その1杯もお店で注がれるようなワイングラス1/3量なんかではもちろんなく、200mlはゆうにあるだろう量がなみなみと注がれたものだ。

泡ですね。ぶり照りですね。一応オリーブオイルで焼いています。後ろに猫の足がチラ見えしています。

そしてお待たせしました本日のメイン。肉or魚。
お酒片手に作り上げた渾身の一品。
ここでそのままワインを飲み続ける日もあれば、
料理によって焼酎、日本酒へと流れることもある。
はたまたっ…やっぱビール!に戻ることも。

(私お酒の話してる時イキイキしてるなぁ)

呑兵衛、目が醒める

まぁそんな勢いも30代後半になるにつれ減速していきました。
去年はまだ精神やられていなかったですが、コロナに罹患後あちこちに不調が現れました。
そのせいで飲みたい気持ちはあれど体が受け付けなくなりつつありました。
うつになる手前では、3杯飲むのが精一杯、1〜2杯で満足するようになっていました。

今年に入り抗不安薬と睡眠薬を服用し始め、当然お酒との併用は避けた方が良いので手が伸びなくなる。
すると夜ごはんを作って食べる理由が1つなくなり
以前より夕飯の時間が遅くなってしまいました。
早くて20時、遅いと22:30なんて日も。。

だからと言って、うつ状態なのでシラフの夜でも何かやりたいこともありません。
ぼーっとしたり寝たりネットを見たり。
重たい体でキッチンに立っていたときに「あ、私お酒寂しかったから飲んでたな」とある日突然確信しました。
逃れようのない揺るぎない真実のように思えました。

酒の効用に頼ること多し

酒は旨いから飲むのではない。酔いたいから飲むのだ。(太宰治)

酒好きの方は分かってくださるのではと思いますが、
酔っているとちょっとした悩みもなんてことないように感じますよね。
お酒を飲むとネガティブになる人もいるようですが
私はひたすらただ明るくなり、
アップテンポな曲をかけて踊りながら料理をするまでに変貌します。

ひとりでも楽しくて、疲れてても体が軽くなり掃除や片付けも捗る。
苦手な母親との電話もお酒が必須でした。
悩み、不安、死ぬまで満たせない寂しさも一時的にパーっと忘れられて、お酒は精神安定剤代わりだったと今なら認められます。
ひとり飲んで泣いてはスッキリ!ということもよくありました。(人と一緒のときは泣きません)

この時点でお酒の力にかなり頼っていると感じます。
二日酔いになることも決して珍しくなかったです。
酒量のコントロールはギリギリのところで出来ていたつもりですが、今思うと危うい部分もありました。
最後の1杯が止められない。
天気が良かったり次の日フリーだと昼から飲んでしまう。
確かに、たまになら開放感がありますが歯止めが効かないと怖いと感じます。

noteを書く=感情の棚卸し

精神疾患と向き合っている方々の記事を読んでいたら、不思議と自分も書きたくなったのですがその理由がやっと分かりました。
それはnoteを書くと感情の棚卸しができる、という理由です。
どこかでその効能を期待していたのだと思います。

これまでは手帳に5行日記程度は記録していました。
本当に備忘録程度で、自分の感情を深く掘り下げることはできません。
(最悪パートナーに見られるかもと思うと余計に)
noteを書いているうちに、自然と自分の深い部分にも触れる流れになることがあります。
始めてまだ日が浅いのに泣きながら書いた、ということも既に何度かあります。

これは私にとって心の掃除や心の微調整に繋がるのです。
お酒は一時的な作用ですが、感情の棚卸しは長期的な効果があります。

こうしてみると、うつ病になりお酒と距離を置いた。
空いた時間で健康的な感情の棚卸しができるようになった。
ということは、うつにならなければ、その選択肢には気付けなかったかもしれない。
もしくは気付けてもずっと後だったかもしれない。
そんな風に思います。
そこでこの記事のタイトルに帰結します。

終わりに

だけどもうつ病は過酷だ。底なし沼に引き摺り込まれるような負の力がある。その闘いはいたって孤独だ。
誰にも助けることはできない。
それでも救いの手が差し伸べられたとき、その手をどんなに辛くても我慢強く握って離さないでいると
どこかのタイミングでひょいと一段自分の足で這い上がれる瞬間が来る。
誰もが見落としそうな小さなフック。
そのフックはずっとそこにあるのだ。

うつを知らない前の自分にはもう戻れないとは思う。
だけど今より少しだけ、自分が生きやすい世界を自分の中で構築できると信じてやまない。
景色が移り変わっていく、視界が開けていく時間の流れに今は身を任せている。
ひとりゆっくりとお酒を嗜める、その日を夢見ながら。



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