野球は、公衆衛生である。
梶原一騎さん原作で馬場のぼるさん作画の漫画の「巨人の星」では、星飛雄馬と父一徹と姉の明子さんの三人で、大晦日に自宅で年を越す場面があります。
除夜の鐘を聞きながら、父の一徹が語ります。
除夜の鐘は、108回鳴る。
これは、人間の煩悩の数だ。
一方、野球のボールの縫い目も108ある……。
うーん。深い!
人生はまさにベースボール。
一球に泣き、一球に笑う。
人生そのものです。
ただ私は、人生で一度も生で除夜の鐘を聞いたことはありません。
私の生まれた椎葉村には、確か寺は4つありましたが、遠すぎて聴こえませんでした。
一度、星一徹のようなセリフを言いたかった。
私は、野球はしませんが、見るのは大好きです。
小学生のときにテレビで見た甲子園球場での作新学院の江川卓投手は、いまもなお頭に焼き付いています。
銚子商業高校との延長一四回の死闘での敗戦は残念でした。
日本中が泣いた、押し出しの一球でした。
「雨の甲子園球場」といえば、江川投手しかありません。
雨を愛した詩人のサトウハチロー氏は、この試合以降は「雨を詩にすることを辞めた」と言っています。
江川投手は、法政大学に進み、六大学野球で活躍しました。
プロのドラフト会議では、クラウンライター・ライオンズが指名しますが、江川選手は拒否します。
一年後のドラフト会議で江川投手を指名したのは、阪神タイガースでした。
巨人に入りたい江川投手は、当時の野球協約上のいわゆる「空白の一日」を使って、ジャイアンツと入団契約をしました。
その後、阪神と巨人の協議が行われ、巨人のエースだった小林繁投手と、異例のシーズン途中での交換トレードにより、江川投手は巨人に入団することができました。
江川投手と小林投手の因縁のお二人は、それから二八年後、清酒メーカーのCMで対談することになりました。
私は、そのCMを見て涙がでました。
その直後、小林投手が急死したのです。
本当に、野球は人生だと思いました!
近鉄バファローズに、マニエルという超ホームランバッターがおりました。
ヤクルトスワローズでホームラン王となり、チーム優勝に貢献しましたが、外野の守備が全く駄目で、広岡監督からとばされました。
近鉄バファローズに移籍し、西本監督の下で活躍して、二年連続ホームラン王になり、近鉄の優勝に貢献しました。
マニエルは、ロッテ戦で、ピッチャーの死球を顔面に受けて、血を流して倒れたのです。
救急車で病院に運ばれて、緊急手術を受けました。
下顎骨の複雑骨折でした。
治療の結果、回復して退院後にチームに復帰し、ホームラン王になったという伝説的人物です。
復帰直後は、アメリカンフットボールのようなヘルメットをかぶって、バッターボックスに立ちました。
漫画のような話ですが、本当です。
マニエルは米国大リーグで監督となり、通算一〇〇〇勝しています。
現在、プロ野球では、フェースガード付きのヘルメットを使用している打者が多く見られます。
日本のプロ野球から始まり、米国大リーグでもフェースガード付きのヘルメットが主流になっています。
労働安全衛生法では、ヘルメットのことを「保護帽」と言います。
マニエルの死球による複雑骨折が、野球の保護帽の進化に貢献しました。
これにより、打者の死球による労働災害の防止につながっています。
そうです。野球は、公衆衛生だったのです。