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黒船に乗り込んだ吉田松陰は、疥癬に罹っていた

疥癬という皮膚科の疾患があります。
皮膚に寄生するヒゼンダニによる疾患で、感染力が半端ないです。

十分に風呂に入ることができない環境で、例えば学校の寮や、福祉施設などでの集団感染が起こることがあります。
風呂に入り、清潔にすることが大事です。

特徴は、指と指の間の軟らかい部分にトンネルができることです。
「疥癬トンネル」と言われており、指と指の間が赤くなり、かゆくなります。

昼間はあまりかゆさを感じませんが、夜になると激しいかゆみが起こります。

角化型と言われる特殊な感染は、手や足の皮膚が硬くなり、これをかきむしると屑のように落ちます。
それには、多数の生きたヒゼンダニが含まれており、これが飛び散って感染が広がります。

高齢者施設での集団感染は、このケースが多いと言われています。

幕末にペリーが下田に来たときに、吉田寅次郎(吉田松陰)ら二人が、小舟で近づき、黒船に乗ってアメリカに渡ろうとしました。
アメリカ海軍は、アメリカに連れて行って欲しいという吉田松陰らの希望を拒否しました。

日本の法律では海外渡航は禁じられており、それを手助けすることはできませんでした。
ただ、幕府に対して、この勇気ある若者を処罰しないようにと伝えています。

実は、吉田松陰はこのとき疥癬に罹っていました。
下田の近くの蓮台寺という温泉で、疥癬の療養を行っています。

船の中に疥癬が持ち込まれると、ペリー艦隊の隊員が感染する可能性がありました。
そのために、断わられたという説もあります。 

吉田松陰が疥癬に罹っていなかったら、もしかすると、米国に渡航することができたかもしれません。

米国に渡ったら、吉田松陰は、萩に松下村塾を開くことはなかったでしょう。
そうすると、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋、山田顕義などの松下村塾生は誕生していなかったと思うと、疥癬でよかったかも。

いやいやいや、中央に大きな大学をつくって、もっと多くの人材養成をして日本の歴史を変えたかもしれません。
こうした歴史のIFを考えると楽しいです。

いずれにしろ、水が少ない環境では、疥癬が流行することがあります。
水は、公衆衛生の基本です。


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