電気やガスを止められても生きていけるが、水道が止められたらアウトである
富山県に出向していた四年間は、単身赴任で県の宿舎で一人暮らしをしておりました。
医師確保など医療問題が県議会で火を噴いており、その対応で忙しい時期がありました。
電気代とガス代と水道代を払うのを忘れていたときがあります。
このとき学習したのが、電気やガスを止められてもなんとか生きていけますが、水道が止められたらアウトでした。
このときに、水は大事だと思いました。
東洋一の要塞だったシンガポールは、日本軍に水源を占領されたので降伏したと言われています。
降伏した英国陸軍のパーシバル将軍の気持ちが、初めてわかりました。
シンガポール島の要塞は南の海側の守りは完璧でしたが、北のマレー半島側の防御が手薄でした。
マレー半島は英国が押さえていたので、北から攻められることはないと想定していました。
日本軍は、マレー半島側から攻めてきたのです。
英国は、このシンガポール戦での敗北を大きな教訓として、現代に伝えています。
一方日本は、山下将軍の輝かしい功績を全く教えておりません。
戦史は教訓の宝庫です。
戦史の研究の積み重ねが、その国のパワーになります。
公衆衛生は、戦争を経験することで発展してきました。
安全な水を確保し、兵士に提供することは、極めて重要なことです。
水質の基準で、一番大事なのは「大腸菌群」です。
その基準はシンプルです。
「検出されないこと」
大腸菌群が検出されるということは、水源のどこかで糞便の混入があるということを意味します。
1987年、埼玉県の幼稚園の理事長は、大宮保健所に幼稚園が使用する井戸水の水質検査を依頼しました。
「大腸菌群が検出された」という結果を受け取りましたが、理事長は改善措置をとりませんでした。
そして1990年に、我が国初の病原性大腸菌O157による集団発生が起こりました。
園児2名が死亡し、有病者は268名にも上りました。
3年前に大腸菌群が検出されたことを知っていたのに放置した理事長は、業務上過失致死で有罪判決を受けました。
幼稚園は廃園となりました。
赤痢の毒を持った大腸菌O157は、米国ではハンバーガーから始まり、我が国では井戸水から始まりました。
そもそも、飲み水の水源と便所を離したのが公衆衛生のはじまりです。
水の大腸菌群検査こそ公衆衛生の原点です。