非当事者研究への脚注その0
「非当事研究」では、「非当事者」から「当事他者」へと至る道をなるべく簡潔にしました。ここからは非当事者研究の過程で考えたけれども、あまりまとまっていないことを書きます。私の手に余るものばかりで、誤読のオンパレードを楽しんでもらえたらと思います。
ふりかえると、「非当事者」から「当事他者」へと至る道には、哲学者ジャック・デリダの二つの方法があったように思います。
まず「非当事者」という言葉が、当事者に関わる人も、関わらない人も、敵対する人も、無関心な人も、みなすべて一括りにしていることを批判して、「非当事者」の複数性を確認しましたが、この作業はデリダの用語の中でもっとも有名な二項対立を批判する方法、「脱構築」に他なりません。
デリダは「人間/動物」という区別を批判して、「動物」を「非人間」に一括りできず、「いくつもの動物が存在する」としており、これとまったく同じことが「当事者/非当事者」という区別にも言えます。繰り返せば、「当事者以外」を「非当事者」として一括りにできず、「いくつもの非当事者が存在する」のです。
また「当事他者」という言葉を用いることも、デリダがいうところの「古名の戦略」かもしれません。それは、古い名を異なる文脈に置くなどして、意味を変化させ用いる方法で、「当事他者」という馴染みのない言葉は私がわざわざ造ったのではなく、哲学者廣松渉の用語なのです。