当事他者論

「非当事者」から「他者」について思考中

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非当事者研究その9(終)

 「当事者に関わる人」は「非当事者」ではなく、「当事他者」である。これが「非当事者研究」の結論です。しかし「当事者」にはまだ課題があります。それは翻訳の問題です。  「当事者」は翻訳できない言葉だとよく言われます。英語には、「『当事者』を一語で表現する単語がない」(上野千鶴子)、「『当事者』という言葉のもつ日本語の真剣さ、重さ、方向性にぴったりあてはまる単語が、どうしても見つけられない」(北原みのり)などです。したがって「当事者」は“Tojisha”と訳されており、たとえば

    • 当事他者探Qその9

       「当事者」を「体験専門家」、「当事他者」を「経験好事者」としました。ここでまた再び「体験と経験」について考えてみます。  前回は、「体験」と「経験」とを区別し、「体験」はある出来事に直面することとして、「経験」は体験した出来事を他者と分かちあえることとしました。さらにこの両者は真っ直ぐには繋がっておらず、「実験」をその間に挟むのではないかと思います。つまり「体験」は「実験」を経て「経験」になる。ではそれは何の「実験」なのかといえば、その一つとして「追体験」とも呼べるような

      • 番外編〜「当事者」のあいまいさについて

         今回は番外編ということで、大阪大学大学院の臨床哲学の受験問題を扱います。なぜかというと、2022年度の秋期試験に、なんと「『当事者』概念のあいまいさについて、多角的な視点から論じなさい」と出題されたからです。 https://www.let.osaka-u.ac.jp/ja/admissions/files/psj8vc  私だったら、どう答えるだろうと考えたのですが、天邪鬼なことしか考えられませんでした。  まず「当事者」概念は、その由来となる民事訴訟法において、原告

        • 当事他者探Qその8

           友人より横道誠さんが「当事者」を「経験専門家」としても捉えていると教えてもらい、ヒントになりそうなので考えてみましょう。考えるにあたって、「経験」と「専門家」とを分けたいと思います。  これまで「経験」を「体験」と区別してきました。「体験」はある出来事に直面することとして、「経験」は体験した出来事を他者と分かちあえることとすると、「当事者」を「体験」と、また「当事他者」を「経験」と結びつけて考えることができます。  山崎孝明さんも野口裕二さんの現代社会の見取り図を参照しな

        • 固定された記事

        非当事者研究その9(終)

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        • 当事他者探究
          9本
        • 非当事者研究への脚注
          6本
        • 非当事者研究
          9本

        記事

          当事他者探Qその7

           当事者の体験を、当事他者と言語化して経験にすることを、ベンヤミンの言語論に沿って考えてみましょう。  ベンヤミンは「言語一般および人間の言語について」という論考において、言語は人間以外の事物にもあるけれども、それは音を持たない沈黙の言語だとしています。それに対して人間の言語すなわち言葉は、事物を認識して音声にすること、つまり事物を名づけることを本質としています。当事者の体験を経験へと言語化することは、事物の言語を人間の言葉で名づけることでもあります。  事物を名づけるこ

          当事他者探Qその7

          当事他者探Qその6

           「当事者」が「問事者」であることから、「当事他者」も「問事他者」であり、やはり「問う」という能動的側面と、「問われる」という受動的側面があります。  「当事者」が出来事との間で「問う/問われる」関係を持っていました。一方「当事他者」は、「事に当たる」という、出来事を「問う」能動的側面を間接的には持ちますが、「問われる」という受動的側面は、出来事とは別に「当事者」から受けることになるでしょう。  また当事他者は、当事者に「問われる」だけでなく、当事者に「問う」こともあるで

          当事他者探Qその6

          当事他者探Qその5

           出来事の不確かさを受け止めて問いを開始する「問事者」には、二つの側面すなわち受動と能動の側面があります。まず一つには、出来事を受け止める、逆に言えば、出来事に問われる受動的側面があり、またもう一つには、出来事を問う能動的側面があります。  「問事者」は、まず出来事を受け止めて、次に問い始めるといった順序を辿るように思えますが、必ずしもそういうわけではなく、むしろ問い始めることで、出来事を受け止め自覚することができるようにも思います。この辺りは、世界に投げ出された存在が自己

          当事他者探Qその5

          当事他者探Qその4

           前回の「共同存在」について述べた際、「現存在と他者」を「当事者と当事他者」に置き換えました。それはいわば「現存在」は「当事者」であると言っているようなものです。しかしそれはあながち外れていないのではないかと思います。  「現存在」という言葉を、前回はとりあえず人間の意味で使いましたが、実際にそれが言わんとするのは、存在を問う人です。存在といっても、あまりにも漠然としています。存在を問う人にとってまず存在するのは、問う人自身すなわち「この私」であり、「この私」を問うことを通

          当事他者探Qその4

          当事他者探Qその3

           当事他者の存在の前提に当事者がいるように、当事者にも当事他者がついてまわる。当事者と当事他者とは、切っても切れない関係いわば「共同存在」という言い方ができるかもしれません。  「共同存在」は、哲学者ハイデガーの『存在と時間』に由来します。ハイデガーは、「現存在」(とりあえずのところは「人間」の意)はすでにつねに「他者との共同存在」であるとして、次のように書いています。「現存在の存在には、他者たちとの共同存在が不可欠の契機として属している」、さらに「そのつどの事実的な現存在

          当事他者探Qその3

          当事他者探Qその2

           「部分的」につながるとは、「分かち合う」ことであり、哲学者ジャン=リュック・ナンシーが言うところの「パルタージュ(partage)」です。「パルタージュ」は、『声の分有』(1982)のキーワードとして登場し、「分割=共有」の意味で「分有」と訳されます。  「パルタージュ」の意味について、伊藤潤一郎さんの整理するところでは四つの意味があります。「分割」・「部分」・「共有」に加えて、「出立」の意味もあります。  “partage”は、「出発」を意味する“partir”と同様に

          当事他者探Qその2

          当事他者探Qその1

           「当事者(party)」と「当事他者(partner)」との、つながりは「部分(part)的」です。それには消極的理由と積極的理由があります。  消極的な理由として、「部分的」とはまず「全体的」ではありません。「全体的つながり」とは、「当事者」の日常の手助けから資産管理まで何もかも、あるいは空間的にも時間的にも四六時中かかわっているような、つながり方です。  「全体的つながり」において、一つには「当事者」よりも「当事者に関わる人」の都合が優先されやすく、監視ひいては支配に

          当事他者探Qその1

          「当事他者探Q」宣言

           とりあえずの「当事他者論」の構想について思いつくままに。  「当事他者論」は二部構成で、第Ⅰ部は「非当事者研Q」、第Ⅱ部は「当事他者探Q」と題してます。第Ⅰ部の「非当事者研Q」は「非当事者」の検討から「当事他者」の提案までで、内容はすでに書いたようなものです。  そして第Ⅱ部の「当事他者探Q」は、「当事他者」から連想できることやインスパイアされたことについて考えながら、「当事他者」としての構えや佇まいといったもの発掘し、豊かな概念としていければと思ってます。 #当事他者

          「当事他者探Q」宣言

          非当事者研究への脚注その8

           「当事者に関わる人」を「当事他者」と名づけました。では「当事者に関わらない人」をどう呼ぶのか。やはり「非当事者」と呼ぶしかないのか。  「当事者」とは、一つには「事に当てはまる者」として属性を基準にした軸と、もう一つには「事に当たる者」として行為に焦点をあてた軸が考えられます。  ここで「当事者に関わらない人」は、「事に当てはまる」かどうかよりも「事に当たる」かどうかの後者の軸の範疇にあります。では「事に当たらない者」は「非当事者」でしょうか。  「非」という否定の接頭辞

          非当事者研究への脚注その8

          非当事者研究への脚注その7

           「当事者」と「政党」についていずれ書こうとは思っていましたが、世界で一番かもしれない身体障害の重い国会議員の誕生の可能性が出てきたので、早産しない程度のメモとして書いておきます。  まず「当事者」が「非当事者」との区別で使われるとき、そこに含まれるのは“Represent”つまり代理の不可能性です。「当事者主権」でも「当事者研究」でも「自己決定」が重視され、「当事者」の代わりはいないことになります。  この点で言えば、代議制民主主義の要とも言える「政党」の肝はやはり“Re

          非当事者研究への脚注その7

          非当事者研究への脚注その6

           「非当事者」の具体的な使われ方について以下で見ました。 言い換えると「非当事者」は単に「当事者でない」と事実確認的に使われるのではなく、「あなたは当事者ではない」といった行為遂行的に使われます。こうした「非当事者」の用法は「非国民」の用語を思い起こさせます。  誰かを「非国民」と名指すことは同時に自分こそが「国民である」と名乗ることでもあります。そこには「国民」とそれ以外との間に序列を設けて、マウントを取ろうとするものでしょう。しかし逆に言えば、自分が「国民である」と名

          非当事者研究への脚注その6

          非当事者研究への脚注その5

           今回は「当事者」のミッシングピースです。「非当事者研究その2」で、法律の専門用語だった「当事者」が障害者運動で使われるようになったということに少しだけ触れました。  ここで年表的に触れておくと、「当事者」が初めて登場したのは1890年の民事訴訟法で、障害者運動で使われ出したのは1980年代です。この約90年の間、「当事者」を法律以外で全く使われなかったのかというのが一つの謎です。  この謎に対する完璧な答えは持ち合わせていませんが、「当事者」を法律以外で使った一人として評

          非当事者研究への脚注その5