非当事者研究その9(終)

 「当事者に関わる人」は「非当事者」ではなく、「当事他者」である。これが「非当事者研究」の結論です。しかし「当事者」にはまだ課題があります。それは翻訳の問題です。

 「当事者」は翻訳できない言葉だとよく言われます。英語には、「『当事者』を一語で表現する単語がない」(上野千鶴子)、「『当事者』という言葉のもつ日本語の真剣さ、重さ、方向性にぴったりあてはまる単語が、どうしても見つけられない」(北原みのり)などです。したがって「当事者」は“Tojisha”と訳されており、たとえば『精神医学と当事者』(東京大学出版会、2016)は“Psychiatry and Tojisha”とされています。

 しかしそもそも「当事者」はドイツ語の“Partei”(英語の“Party”)を翻訳した言葉です。ロールズの『正義論』の“parties”はまさに「当事者」と翻訳されており、カール・シュミットのパルチザン(“partisan”)の四つの特徴(蔭山宏著『カール・シュミット』)はまさに「当事者運動」に当てはまります。「当事者」という言葉は日本語の特殊性に閉じておらず、むしろ普遍性に開かれています。

 では「当事者」を“Party”と翻訳する場合、「当事他者」はどのように翻訳されるのでしょうか?ここで外してはならないことは、「当事他者」が「当事者」からの派生であるように、「当事他者」と翻訳できる言葉もまた“Party”と親縁性がある言葉でなければならないことです。そうしたことを踏まえると、「当事他者」は「当事者」と“Part”的関係にあると考えられます。

 したがって「当事他者」と翻訳するに相応しい言葉とは「パートナー」(“Partner”)です。非常に馴染みのある言葉が異なる相貌で、わたしたちの日常の風景を少しだけ変えてくれるのではないでしょうか。

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