当事他者探Qその5

 出来事の不確かさを受け止めて問いを開始する「問事者」には、二つの側面すなわち受動と能動の側面があります。まず一つには、出来事を受け止める、逆に言えば、出来事に問われる受動的側面があり、またもう一つには、出来事を問う能動的側面があります。

 「問事者」は、まず出来事を受け止めて、次に問い始めるといった順序を辿るように思えますが、必ずしもそういうわけではなく、むしろ問い始めることで、出来事を受け止め自覚することができるようにも思います。この辺りは、世界に投げ出された存在が自己を開く、「被投的投企」とも関連しそうです。

 話を戻すと、この「問事者」の受動と能動との側面はそれぞれ、「当事者」の属性と行為とに類似しています。「当事者」の属性、たとえば障害の有無や性別など、は本人が決められることではなく、それは受動的な出来事であり、「事に問われる」こと、いわば「被問事者」とも言えるかもしれません。そして「当事者」の行為すなわち「事に当たる」とは自発的なコミットメントであり、その中には出来事を問うこと、いわば「事を問う」こともあるでしょう。

 以上のように、「現存在」は「問事者」すなわち「当事者」なのです。似たようなことは、景山さんはもちろんのこと、遡れば木田さんも「現存在」の意味も含む「世界内存在」を「当事者」と言っています。では、「当事他者」はといえば、やはり「問事他者」すなわち「問うよそ者」かつ「問われるよそ者」なのです。

参考文献:
木田元著『現象学』(岩波新書、1970)
景山洋平著『「問い」から始まる哲学入門』(光文社新書、2021)

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