非当事者研究その2
「当事者」はそもそもドイツ語の”Partei”を翻訳した言葉で、法律の専門用語として、裁判の原告と被告の双方を指していました。それが障害者運動で本人を指す言葉として使われ始め、社会的困難に遭っている人にも浸透し、現在では、ある事に関係している人を幅広く指すようになりました。「事に当てはまる者」としての「当事者」と言えばいいでしょうか。
「当事者主権」や「当事者研究」では、「当事者=統治者」(『当事者研究』19頁)という見方があります。「当事者主権」の「主権」とは、「自分の身体と精神に対する誰からも侵されない自己統治権、すなわち自己決定権」(『当事者主権』3頁)とされていますし、「当事者研究」においても、「当事者」とは「自分自身の「統治者」になろうとするプロセス」(『安心して絶望できる人生』68頁)とされています。
「統治」においては、「統治する/される」という能動と受動に、さらには「統治する者/される者」という主体と客体に分かれます。障害者をはじめとした「当事者」と呼ばれる人々は、特に医療や福祉において、「治療される者」や「支援される者」といった客体として扱われ、自分のことなのに決定できないことがありました。そうした背景も踏まえて、「当事者」を「統治者」とするということには、「統治する者」としての主体を取り戻し、「統治される者」と「統治する者」との一致という当然の権利回復が含まれています。