当事他者探Qその2
「部分的」につながるとは、「分かち合う」ことであり、哲学者ジャン=リュック・ナンシーが言うところの「パルタージュ(partage)」です。「パルタージュ」は、『声の分有』(1982)のキーワードとして登場し、「分割=共有」の意味で「分有」と訳されます。
「パルタージュ」の意味について、伊藤潤一郎さんの整理するところでは四つの意味があります。「分割」・「部分」・「共有」に加えて、「出立」の意味もあります。
“partage”は、「出発」を意味する“partir”と同様に、「分ける」を意味するラテン語のpartireを語源としており、「出立」の用法もあります。したがって、「当事者」と「当事他者」とが部分的につながることは「出発」でもあります。
ただここで注意しなければならないのは、「当事者」は「当事他者」がいなければ何もできないということではありません。たとえば「伴走者」という言い方では、「当事者」は「独走」あるいは「暴走」する者とイメージさせかねません。それはまた「伴走者」が冷静沈着であることを前提として、非対称的関係の可能性があります。
ではここで出てくる「当事他者」をどうイメージすればいいのかと言えば、人間に限らなくてもいいということです。たとえば車椅子あるいは電子機器といったモノはもちろんのこと、思い出や記憶といったコトでさえも、「当事者」の「出発」のための「当事他者」と言えるかもしれません。
参考文献:伊藤潤一郎『ジャン=リュック・ナンシーと不定の二人称』(人文書院、2022)
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